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梅小路子爵家 名家

◆梅小路定行
1865-1942
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■前妻 清岡長延子爵の娘 修子 離婚・岡本喜兵衛と再婚
1868-1955


■後妻 公家難波宗明の娘 章子
1873-1949 


●加寿子 梅溪通善子爵の子梅溪通弘夫人
●美智子 倉内美智子となる
●茂子  能楽師観世元滋と結婚離婚
●富子  牧野太郎夫人
●定雄  次代当主
●定美  実業家吉岡重三郎の娘の婿養子になり吉岡定実となる
●実   池尻基房の娘千代子の婿養子になるが離婚


●加寿子 梅溪通善子爵の子梅溪通弘夫人
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●定美 実業家吉岡重三郎の娘の婿養子になり吉岡定実となる
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年01月15日

倉富&宮内官僚岡田重三郎の会話

倉富◆梅小路定行の娘にて観世元滋に嫁しおり離婚となりたる茂子の事を問わん。
岡田◆茂子はまだ婚姻届を為しおらざりし趣につき、
宮内省にも結婚届は為さず今日まで華族の籍内にありたるものならん。
倉富◆しからば離婚となりてもその届は為す必要はなき訳なるが、婚姻の認許は如何するや。
岡田◆この如き場合には、婚姻の認許取消の願を為して結了する事になりおれり。

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◆梅小路定雄
1909-


■妻 鍋島直和子爵の娘 花子
1911-


●喜美子
●美子
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by oMUGIo | 2002-04-10 00:00 | 公家華族

土御門子爵家 半家

◆土御門晴栄
1859-1915
もと公家錦織久隆の子 婿養子になる
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■前妻 先代晴雄の娘 益子 離婚
1868-


■後妻 冷泉為柔子爵の娘 秀子
1867-1932
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●後妻の子 幸子  婿養子を迎え次代当主とする
●後妻の子 賀寿子 平民木村英吉と結婚
●後妻の子 千代子
●後妻の子 鑑子





◆土御門晴行●子供ナシ
1883-1924
もと亀山藩主松平信正の子 松平信復 婿養子になる


■妻 先代晴栄の娘 幸子 のち堀川重治と再婚
1892-
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◆土御門晴善 
1884-1934
もと三室戸和光子爵の子 三室戸善光


■妻 武田千代三郎の子 登美子
1896-1947


●熙光
●範忠
●美栄子





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土御門晴栄の娘賀寿子は明治28年生まれ。
学習院を卒業後女官となり【八重菊の内侍】という名前で宮中に仕えた。
30歳の時に25歳の宮中の大膳部の料理人木村英吉と恋愛関係となった。
職場恋愛が許される場所ではなかったので、二人は宮中を辞職して結婚した。
華族で女官であった賀寿子の結婚は新聞等で騒がれた。

明治・大正・昭和の天皇に仕えた 小川金男の手記

大正になってからのことであるが、
ある日 私は千草権典侍のお供をして沼津の御別邸に出張を命ぜられたことがあった。
そのとき御別邸にいた八重菊内侍も一緒に東京へ帰ることがわかった。
三人が汽車に乗って座席に座ることになったが、普段なら女官は向かい合って腰かけて
いろいろ話し合いながら東京に着くということになるのだが、
その時には八重菊内侍は千草権典侍と離れるようにして座って、
黙り込んで陰鬱そうにうつむいていた。
それから私も初めて自分が沼津に出張を命ぜられた理由を知ったのであった。
つまり千草権典侍は八重菊内侍を東京に連れて帰るために出張したのであり、
私はその御供を命ぜられたのであった。

八重菊内侍はその美しい源氏名に反して、女官としてはまれにみる不器量な女であった
自然誰も八重菊内侍を問題にする者はなかった。
だからその女が沼津御別邸で大膳食の膳手と、
しかも宮内省で美男の中の美男と言われていた青年と関係があろうなぞとは
全く思いもよらないことであった。
このことは当時の新聞の三面記事をにぎわしたもので、
記憶の良い人なら今でも覚えているに違いない。

八重菊内侍は局部屋を下がったが、二人は強い愛情で結ばれていたとみえて、
その後まもなく結婚し、やがて二人の子供が産まれた。
恐らく今でもどこかに幸福に暮らしているに違いない。

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by oMUGIo | 2002-04-09 00:00 | 公家華族

小野男爵家 御碕神社

◆小野尊光
嘉永02-昭和12年


■妻 塩見小兵衛の娘 セイコ
安政01-大正07


●綏子 千家尊愛夫人
●初子 岩田龍一郎夫人
●尊正 次代当主
●曽子 黒住教黒住宗子の前妻
●広子
●富子 黒住教黒住宗子の後妻
●吉子 軍人成瀬政彦夫人
●敏功 古川敏功となる
●友直 日御碕神社宮司
●鉄丸 瀬川鉄丸となる
●美津子 森谷和一郎夫人
●好子
●邦範 日置邦範となる
●庶子 鶴子 神谷健雄夫人
●庶子 節夫 一色節夫となる





◆小野尊正
明治10-


■妻 佐野常民伯爵の子佐野常樹の娘 米子
明治15-


●英子
●鑑子 新聞社長大島一郎夫人
●尊大
●勝彬 次代当主





◆小野勝彬
大正08-


■妻


●礼子
●高慶
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by oMUGIo | 2002-04-08 00:00 | 公家華族

梅溪子爵家 羽林家

◆梅溪通善
1821-1899


■妻 公家甘露寺愛長の娘 親子


●通治    次代当主
●寿子    神職紀俊尚夫人
●駒子/胤子 鍋島直大侯爵の前妻・本人死別
●通魯    次々代当主
●通弘    梅小路定行子爵の娘加寿子と結婚





◆梅溪通治
1831-1916


■前妻 公家坊城俊明の娘 明子/照子
1833-1883 


■後妻 公家植松雅言の娘 務子
1851- 


●前妻の子 通昌 早逝





◆梅溪通魯●子供ナシ
1864-1920
先々代通善の子
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■妻





◆梅溪通虎
1902-1984
もと松平家晃の子


■妻 仙石政敬子爵の娘 夏子
1907-1997


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池坊保子 梅溪通虎子爵令嬢/華道家池坊専永夫人

母の母は素子といい、素子お祖母ちゃまに恥ずかしくないように、それが母の規範だった。
母がまだ幼い時に死に別れた祖母、決して抱かれた事がなかっただろう祖母。
能力を発揮して宮中改革に手腕を振るった新華族の祖父より、
宮家に生まれ若くして死んだ祖母の血を母は誇りにしていた。

母夏子の一生は、結婚前は仙石の父に守られ結婚してからは夫に守られ
夫亡き後は溺愛した末の息子に守られた一生だった。
母は乳母を連れて結婚したような人だから、家事など一切できなかった。
晩年の父が一週間ほど風邪で伏せったことがある。
母は手一杯の洗濯物を抱え自宅の裏に住む峰子の所にやってきた。
「峰ちゃん、洗濯機ってどうやって回すか知ってる?」
「ママ、今まで洗濯はどうしていらっしゃったの?」
「だってパパがして下さるもの。パパは洗濯なさるのがお好きなの、ご趣味なのよ」
当り前のように答える母に、なんと幸せな奥様なのかと峰子は呆然とした。

私達子供にとっての母は決して【母親】ではなく、何よりもまず【父の奥様】であった。
私と母はいつもで父を真ん中にして、娘と妻ではなく一人の女性同士として向かい合っていた。
母は常に私に対してさえ女だった。父が私を溺愛する事を、母は常々嫌がっていた。
ついには父の人生の最期になって、お見舞いに私が訪れるのを拒みさえした。
弟は「仕方ないさ。ママと姉貴は、パパをはさんだ三角関係みたいなものだからさ」
と苦笑していた。

弟の東京転勤に伴い、弟夫婦は実家の庭に建てられた家へと移り住んだ。
以来30年嫁の裕美は舅の死を看取り、舅亡き後は姑と毎夕の食事を共にしてきた。
裕美は根が優しく、母にはよく気を配ってくれる。
通彦への愛情が濃く深い分、お嫁さんには心から寄り添う気持ちになれなかった。
母にとって学校は学習院しか存在しない。家柄についても同様である。華族しか眼中にない。
兄通明の妻昌子は母のイトコの娘であり、常陸宮様のお妃候補として取り沙汰された事もある。
そんな昌子は母にとって同じ世界で育った自分と同じ空気を吸って生きている仲間だった。
母は昌子と裕美に対する扱いをまるで変えていた。意識しない所で歴然と差別していた。
入院した母をお見舞いに二人のお嫁さんが訪れる。母は病身を伸ばしてきちんとお礼を言う。
「昌子さん、恐れ入ります。お忙しいのに」 自然と敬語が出ている。
母は弟の妻にはついぞ敬語は使わなかった

「ママ、車を買い替えたいんだ。ベンツにしようかなと思ってるんだけど」
通彦の言葉に母は素早く反応する。「それにしましょう。買ってあげるわよ」
母は愛する息子とドライブに行ける事に夢中になってしまう。
いつの間にか、古い家にはベンツが置かれていた。
時にはこらえきれずに、私達に愚痴をこぼす。
「裕美がついてくるのよ。彦ちゃんだけならいいのにね」 そう言って顔をしかめた。

父亡き後、生まれて初めて手にした自由になるお金を、
もともと金銭に淡白な母は鷹揚に使っていく。
母は用がなくても一日一回は買い物に出る。
きれいにお化粧をし、イヤリングを必ずつけ、オシャレをして、
家から歩いて数分の東急百貨店に通う。この日課は亡くなる数ヶ月前まで続けられた。
買い物は晩年の母のかけがえのない趣味、一種の生きがいになっていた。
毎日近くのデパートに散歩がてら出かけては何かしらを買って帰るという母の日課を、
弟は微笑ましく見守っていた。だが宝石を買い始めると、父の残した貯金を計算する。
面倒を看ている自分に託されているはずの残高は減るばかりだ。
やがて百貨店の外商に「母に売るな」と命じるまでになった。

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●通明  次代当主
●百合子 鏡山東之助夫人
●峰子  読売新聞社長正力亨夫人
●保子  華道家池坊専永夫人
●通彦  今井裕美と結婚


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池坊保子 梅溪通虎子爵令嬢/華道家池坊専永夫人

百合子は長兄と喧嘩しても一度たりとて負ける事がなかったくらい気性が激しく、
頑固で自己主張が強いしっかり者であり、
青味がかった大きな目が「外人みたい」と評判の華やかで美しい女性だった。

峰子は梅溪に家にあって必要不可欠な、しかし最も目立たない存在だった。
6歳の時に私が誕生すると父の寵愛は私に移り、
さらに通彦が生まれると母は他の子供達に見せたことのない情愛を彼に捧げた。

両親は当然のごとく夕食の支度を峰子の役割にした。
峰子はまだ高校1年生だった。夕食はいつも峰子の肩にかかっている。
出来上がったご飯を誰も感謝することもなく、当り前に口にするだけだ。
それどころか、父は容赦なくマズイとかぬるいとか苦情を言う。
私に至ってはガスでお湯を沸かした事すらなかった。
思い返せば父は家庭的な事を何一つ私にはさせなかった。

時にはお客様からいただいたケーキが食卓を飾る時がある。
4人のきょうだいは峰子がナイフを入れるのを固唾を飲んで見守っている。
「切ったのは峰ちゃんだから、選ぶのは一番最後だよ」と兄が遠慮会釈なく宣言すると、
他のきょうだいもうなずく。すべての労は峰子が背負い、彼女が得る益は少ない

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◆梅溪通明
1932-


■妻 二条弼基公爵の娘 昌子
1941-


●通生
●通久
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by oMUGIo | 2002-04-07 00:00 | 公家華族

葉室伯爵家 名家

東京本邸 豊多摩郡千駄ヶ谷町 (現:渋谷区千駄ヶ谷)


◆葉室長邦
1839-1898 59歳


■妻 勧修寺経理の娘 経子
1847-1915 68歳没


●邦子 六条有熙子爵夫人
●秀子 近松尊定夫人
●正子
●春子 婿養子を迎え次代当主とする





◆葉室長通
1876-1944 68歳没
もと万里小路通房伯爵の子 婿養子になる
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■妻 先代長邦の娘 春子
1887-1945 58歳没
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●千鶴子 婿養子を迎え次代当主とする
●通子  戸田武夫人
●礼子  田坂夫人


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<春子夫人の不倫>

葉室長邦には男子がなかったため娘春子に万里小路通房伯爵の子長通を婿養子に迎えた。
葉室家は東京に本邸があったが、陸軍軍人である長通が豊橋市に赴任したため、
妻子も一緒に住まった。
しかし見知らぬ土地で暇を持て余した春子は、当地の年下税務署員Aと不倫関係となる。
この関係は軍の知るところとなり、不倫関係は裂かれる。

また春子は新しい男Bを作る。
すると夫ではなく元愛人Aがこれに激怒、復縁を迫られ春子はAとよりを戻す。
これを憲兵隊が知るところとなり軍に報告、
軍は妻の不貞を取り締まれない長道を監督不行届きということでクビにする。

しかし夫婦は離婚することなく亡くなるまで結婚生活を続けた。
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◆葉室直躬
1895-1971 76歳没
もと鍋島直柔子爵の子 婿養子になる


■妻 先代の長通の娘 千鶴子
1903-1988 85歳没


●百合子 烏丸智弘夫人
●欣子  大野良雄夫人
●賴昭  次代当主
●公子  黄朝福夫人
●頼言  粟田口頼言となる
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by oMUGIo | 2002-04-06 00:00 | 公家華族

桑原子爵家 半家

◆桑原輔長
1846-1896 弘化03-明治29 50歳没


■妻


●為昭 次代当主
●孝長 次々代当主





◆桑原為昭
1881-1899 明治14-明治32 18歳没





◆桑原孝長
1884-1927 明治17-昭和02 43歳没

*殺人事件を起こし爵位を返上する


■妻 士族粕谷素道の娘 寿和 離婚


●庶子  為衷
●実子 寿栄子
●庶子  田鶴子
●庶子  熙長


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<桑原孝長の殺人事件>

桑原孝長は女遊びで退学になったのを皮切りに、生涯放蕩がやまなかった。
親族から諌められると逆に妻を離婚して追い出してしまう。
独身に戻った孝長の放蕩はさらにひどくなり借金もかさんだ。

とうとう商人の美人妻・花登マスと駆け落ちをする。
しかし金の切れ目が縁の切れ目で、マスは夫の元へ帰ってしまう。

大正8年10月15日、孝長はマスを呼び出し復縁を迫る。
断られると用意してきた猟銃でマスを脅す。
脅すだけのつもりがマスが騒いだので撃ち殺してしまう。

孝長はその場から逃亡するが逃亡先で逮捕される。
宮内省は爵位の返上を命じ、桑原家の爵位は取り上げられた。

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年10月16日

宮内官僚仙石政敬子爵の台詞

桑原孝長が姦通の末その女を殺したる旨警察官よりの報告あり。
有爵者として許すべからざる事にて宗秩寮の議に付し爵を返上せしむる手続を取らんとす。


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◆桑原為衷
1906-1974 明治39-昭和49


■妻 三木伊之助の娘 久子
1913- 大正02-


●直子
●真子
●靖子
●為元
●光栄
●春雄
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by oMUGIo | 2002-04-05 00:00 | 公家華族

醍醐侯爵家 清華家

◆醍醐忠順
1830-1900 70歳没 


■妻 離婚


●庶子 忠告 次代当主
●庶子 忠敬 次々代当主
●庶子 忠貞 一条実良の娘良子の婿養子になったが、不品行のため離縁され醍醐家へ戻る
●庶子 好子 賀陽宮邦憲王妃
●庶子 親子 鶴殿忠善男爵夫人
●庶子 忠直


●好子 賀陽宮邦憲王妃
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●親子 鶴殿忠善男爵夫人
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萬朝報 明治31年08月02日

侯爵醍醐忠順はもはや69歳の高齢なれども有名の好色家にして、
さる24年より牛込区原町小菅キクの長女イネ(23)を妾としながら、
目下自邸にある雇女の
増田カネ(21)・石原トヨ(19)・前田ミサ(20)・宇田川ミネ(16)らに手をつけ、
いずれも3円以上15円以下の手当を与えつつあり。

その嫡男たる忠敬もまた侯爵邸に同居し、
京都市葛野郡花園村平民松室滝尾(40)なる妾を畜う。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年07月04日

宮内官僚小原駩吉の台詞

鶴殿親子は賀陽宮好子妃の妹にて既に寡婦となりおるが素行修らず。
綾部の大本教を信じ綾部に行きおり。書状を好子妃に送り
「何人が何と言うても綾部に留まる。大本教を信ぜざれば日本国は亡う
と言う旨を申し来りたり。
鶴殿家の方より警察に依頼し綾部より寡婦を引き戻し只今は京都におるが、
精神に異常あるをもって精神病院に入るる事につき、
賀陽宮に相談に来り好子妃より自分の意見を問われ、
「病人を病院に入るる事は別に論なき事なるも、その子孫の婚姻にも関係する事につき
充分に親族会の諒解を求めたるうえ処置すべき」旨を申し遣しおけり。


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◆醍醐忠告
1848-1896 48歳没


■妻帯せず


●庶子 格太郎 叔父忠敬を射殺する
●庶子 賢次郎 日清戦争で戦死





◆醍醐忠敬
1849-1899 50歳没

*甥の格太郎に射殺される
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■妻帯せず


●庶子 為子 浅野忠純男爵と離婚・小倉英季子爵と再婚
●庶子 忠重 次代当主
●庶子 信子 水野忠亮子爵夫人
●庶子 静子 木辺孝慈男爵夫人


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<醍醐忠敬殺害事件>


※当時の総理大臣の月給は1,000円

麹町の屋敷には当主忠順と長男忠告一家と次男忠敬一家が暮らしていた。
長男忠告は病弱だったため忠順は次男忠敬を跡取りのように扱っていた。
本来ならば当主は忠順→忠告→格太郎と継がれていくべきと考える格太郎はこれが不服であった。
格太郎は遊興にふけり借金を作る。
勤めていた役所にまで借金取りがやってくるようになった頃に忠告が病死、
格太郎は役所も辞めて屋敷からも飛び出してしまう。

格太郎は叔父忠敬に何度か金を融通してもらっていたが、
度重なる無心のすえ拒絶されるようになる。
そこで借金は400円に膨れ上がる。

明治32年5月23日、進退窮まった格太郎は拳銃を持って麹町の屋敷に向かう。
忠敬は親友四条隆平男爵と談話中であった。
格太郎はいきなり部屋に入って忠敬を撃ち、さらにその場にいた忠敬の娘為子も撃つ。
四条男爵が格太郎を取り押さえ、格太郎は警察に逮捕される。
忠敬は死亡、為子は重傷であった。

この事件はスキャンダルとなるが、
格太郎は醍醐家の当主ではなく被害者も身内であることから爵位の返上は求められず、
忠敬の息子忠重が当主となった。
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◆醍醐忠重
1891-1947 56歳没
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■妻 毛利元昭公爵の娘 顕子
1898-1980 82歳没
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●清子 南郷茂重夫人
●充子 松平永芳子爵夫人
●和子 黒田長礼侯爵の子黒田長久夫人
●忠宜
●忠久
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by oMUGIo | 2002-04-04 00:00 | 公家華族

入江子爵家 羽林家

◆入江為守
1868-1936 慶応04-昭和11 68歳没
もと公家冷泉為理の子
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■妻 柳原前光伯爵の娘信子
1876-1953 明治09-昭和28
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●為常 次代当主
●朔子 坊城俊良伯爵夫人
●邦子 高木正得子爵夫人→娘は三笠宮百合子妃
●相政 財閥岩崎豊弥の娘君子と結婚


左 朔子   右 邦子 
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左 相政   右 邦子
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●朔子 坊城俊良伯爵夫人
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●相政
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年09月09月18日

宮内官僚小原駩吉の台詞

入江為守、ヨーロッパにてある宴会の時ズボン下がズボンの下に白く垂れおり、
あまり見苦しきゆえ同僚が注意したるところ、衆人の前にてズボンをまくりこれを直したる由。
恥しきこと多きゆえ儀式には大概これを除きて出席せしめざることと為したる由なり。

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◆入江為常
1894-1969
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■妻 京極高徳子爵の娘 豊子
1902-1989


●朝子 婿養子を迎え次代当主とする





◆入江俊久
1921-
先代為常の甥/朔子&坊城俊良伯爵の子 婿養子になる


■妻 先代為常の娘 朝子 イトコ結婚
1928-


●妍子
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by oMUGIo | 2002-04-03 00:00 | 公家華族

四条侯爵家 羽林家

◆四条隆生
1792-1857 寛政04-安政04 65歳没
もと公家醍醐輝久の子


●隆美 次代当主
●隆謌 次々代当主
●隆平 四条隆平男爵となる 広幡基豊の娘繁子と結婚





◆四条隆美
1815-1834 文化12-天保05 19歳没





◆四条隆謌
1828-1898 文政11-明治31 70歳没
先代隆美の弟
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■前妻 福岡藩主黒田長溥の娘 銈子 別居・死別


■後妻 中井春子 正妻の死亡後、妾であった芸者春子を後妻にする
1858-1906 安政05-明治39 48歳没 
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●弟隆平の庶子 実輝  一条実輝公爵となる
●春子の子    加根子 三島弥太郎子爵夫人
●愛人の子    十郎  ピストル自殺
●春子の子    隆愛  次代当主


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

私の母方の祖母上は春子といい京都の士族で中井好馬という方の娘ですが、
何かの事情で半玉として勤めに出されたばかりの時に
祖父上が落籍せて妾として囲われたということです。
大阪時代に幼い母上が女の人に抱かれている写真があるのですが、
私が母上にこの女の人は誰かと伺ったら「それは私のお母さんだ」と言われるので、
「でも四条の祖母上とは違う方ではありませんか」と反問したところ、
祖父上の本妻の方だとの答えでした。
この本妻は黒田侯爵の息女で祖父上のもとにお輿入れされたのですが、
あまりに嫉妬心が激しく今で言うヒステリーになられたため
祖父上が辟易してしまわれたのだそうです。
それで大阪鎮守台長官から名古屋鎮守台長官に転補された時に
この本妻の方はそのまま大阪に置いていかれ、
お気の毒なことに大阪で亡くなられたのだそうです。


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

一条の伯父様〔一条実輝〕は本当は祖父上〔四条隆謌〕のお子さんではなく、
弟の隆平さんが部屋住み時代にある女の人に産ませたお子さんなのですが、
祖父上が自分の子とされ成人してから一条家へ養子にやられたのです。

祖父上のお子さんが全部で何人あったのか私はよく知りませんが、
母上のお話では一番上の女の方が飛鳥井家に嫁がれた他、
スエコ・ミツコというお方もおられたようです。
春子祖母上は本妻になられた後、十郎さんの母である【さえ】という人や、
その他祖父上のお手付の女中などが何人かいたようですが、
その人たちをしっかり抑えておられたといいます。
この十郎というお方は
祖父上から学校が出来ないと言って叱られたのを苦にして自殺されたのですが、
世間では祖母上が実子の隆愛叔父様を跡取りにしたいため
庶子の十郎叔父様をいじめ殺したのだと噂したようです。


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四条隆愛の妻 糸子/徳川慶喜の娘

隆謌様が京都をお落ちになって〔七卿落ち〕
九州の黒田様に御身をお寄せになっていらした時、
黒田様のお姫様の銈子様にお見初められになったのです。
女のように美しいお公卿さんに心をお魅かれになったのね。
銈子様は奥平様に御縁付きになったのですが、
御不縁になってお里にお帰りになっていらしたのです。
そう申してはなんですが、お色が黒く御器量のお悪いお姫様で、
お年もちょっとお上でいらしたそうです。
しかしお世話様になっていらした黒田様から是非もらってくれとおっしゃられれば
嫌とは言えず御祝言をあそばし、京都へ連れてお帰りになったのです。
御維新になってからも、よほど銈子様をお嫌いになったらしく
別の邸に表の人と奥女中をつけて大切にはお住まわせにはなったけれど、
御自分はちっともお訪ねにならず、京都や大阪での御道楽は大変だったそうです。
お気の毒様に毎日おむずかっていらしたそうですが、とうとうお患いになってお隠れたの。
お隠れても隆謌様はお出でなく、黒田様のお手で御葬送をお済ませ申し上げ、
御墓所も黒田様の方へ御埋葬申し上げました。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

祖母〔春子〕はこんなにしっかりしていても時にははしたないことがあるらしく、
母〔将軍徳川慶喜の娘糸子〕が徳川から嫁に来ているのに当てこすって、
「京都の家にはたくさんの蔵書がありましたが、みんな徳川はんに焼かれましたんえ
と言ったので母は切ない思いをしたそうだ。

私はこの祖母が正妻になった時の宮内省の許可の書付を見て笑った。
立派な字で「妾春子を正妻にする事を許す」と書いてある。
公文書にこんな言葉を書いたものかと驚いた。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

ある時女中が風呂場で転んだと聞き祖父が飛んで行った。
女中が転んだぐらいでなんであんなに慌てるのかと祖父が不思議に思ったらば、
その女中が身ごもっていた。
祖母はちっとも気がつかなかったと悔しがって母に話したそうだ。
その女中が産んだのが十郎伯父だから憎しみがあったのも当然であろう。
十郎伯父は母親からは疎まれたが、私の父隆愛とは仲の良い兄弟であった。
十郎伯父は弟の隆愛に四条家を継がせた方が円満に行くと思い、
学習院の高等科に在学中寮の自室で演習用の銃で自らの命を絶ってしまった

私が大河内に嫁いでから大河内の父〔大河内輝耕子爵〕が
十郎伯父と大変に親しかったそうで、
「寮に入っている人はみな地方に家庭のある人でした。
十郎さんの御家は東京でしかも学習院と目と鼻の先の麹町に御両親がいらしたのだから
何か訳があるのだろうと思っていました。
十郎さんは身体が大きくて運動が万能で高等科の人気者でした。
寮の部屋で自殺なさった時は大変な騒ぎでした」


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◆四条隆愛
1880-1938 明治13-昭和13 58歳没
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■妻 将軍徳川慶喜の娘 糸子
1883- 明治16-
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●隆徳  次代当主
●富士子 大河内輝信子爵夫人 イトコ結婚





◆四条隆徳
1907-1977 明治40-昭和52 70歳没


■妻 実業家河井新耳の娘
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by oMUGIo | 2002-04-02 00:00 | 公家華族

坊城男爵家 坊城伯爵系

◆坊城俊延
1869-1910
もと公家坊城俊政の子


■妻 井田譲の娘 テツコ
1878-1944
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●延子 婿養子を迎え次代当主とする





◆坊城俊賢
1897-1984
もと坊城俊章伯爵の子 婿養子になる
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■妻 先代俊延の娘 延子
1900-1974 
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●俊厚 次代当主
●俊友





◆坊城俊厚
1922-


■妻 高浜年尾の娘 中子
1928-


●都子
●俊樹
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by oMUGIo | 2002-04-01 00:00 | 公家華族


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