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一橋徳川伯爵家

東京本邸 小石川区林町 (現:文京区千石)


◆徳川慶寿
1823-1847 文政06-弘化04 24歳没
もと田安徳川斉匡の子


■妻 伏見宮貞敬親王の娘 直子女王
1830-1893 文政13-明治26 62歳没
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◆徳川昌丸
1846-1847 弘化03-弘化04 1歳没
もと尾張徳川斉荘の子





◆徳川慶喜
もと水戸徳川斉昭の子
のちに当家を離れて15代将軍となる





◆徳川茂栄
1831-1884 天保02-明治17 53歳没
もと高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の二番目

父の跡を継いで高須藩第11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる→徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる→徳川茂栄
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高須四兄弟 左から ④桑名松平定敬 ③会津松平容保 ②一橋徳川茂栄 ①尾張徳川慶勝
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■妻 二本松藩主丹羽長富の娘 政子
1838-1909 天保09-明治42 71歳没
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●実子 義端 高須藩主松平義端となる
●庶子 達道 次代当主





◆徳川達道
1872-1944 明治05-昭和19 72歳没
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■妻 将軍徳川慶喜の娘 鉄子
1875-1921 明治08-大正10 46歳没
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◆徳川宗敬
1897-1989 明治30-平成01 91歳没
もと水戸徳川篤敬侯爵の子 徳川敬信

*夫妻でドイツ留学

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■妻 池田仲博侯爵の娘 幹子
1902-1996 明治35-平成08 93歳没
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ベルリンにて
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シンガポールにて
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●美代子 甘露寺親房夫人 
●伊津子 阿部正道夫人
●宗信  次代当主


達道と
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左から 宗敬 宗信 幹子夫人 伊津子 美代子 
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●美代子 甘露寺親房夫人
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◆徳川宗信
1929-1993


■妻 小山達彦の娘 好子
1931-


●寛子
●宗親
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by oMUGIo | 2003-01-14 00:00 | 武家華族

田安徳川伯爵家

東京本邸 芝区三田綱町 (現:港区三田)
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◆徳川斉匡
1779-1848
もと一橋徳川治済の子


■妻 閑院宮美仁親王の娘 貞子女王
1787-1825


●庶子 斉位 一橋徳川家5代当主となる
●庶子 慶寿 一橋徳川家7代当主となる
●庶子 慶永 福井松平春嶽となる
●庶子 慶頼 次々代当主
●庶子 慶臧 尾張徳川慶臧となる





◆徳川斉荘
1810-1845 35歳没
もと将軍徳川家斉の子 先代斉匡の娘猶子の婿養子になる
のちに尾張徳川家を相続する





◆徳川慶頼
1828-1876 文政11-明治09 47歳没
先々代斉匡の子
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■前妻 将軍徳川家慶の娘 暉子
1826-1840 文政09-天保11 14歳没


■後妻 閑院宮孝仁親王の娘 直子/光子/桂子女王
1819-1906 文政02-明治39 87歳没


●庶子 寿千代 次代当主 
●庶子 家達   次々代当主→のちに徳川本家を相続して徳川家達となる
●庶子 達孝   次々々代当主
●庶子 鎮子   庄内藩主酒井忠篤夫人
●庶子 頼倫   紀州徳川頼倫侯爵となる





◆徳川寿千代
1860-1865 安政07-元治02 4歳没





◆徳川亀之助
1863-1940 文久03-昭和15 76歳
先代寿千代の弟 
のちに徳川本家を相続して徳川家達となる





◆徳川達孝
1865-1941 慶応01-昭和16 75歳没
先代亀之助の弟
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■前妻 将軍徳川慶喜の娘 鏡子 死別
1873-1893 明治06-明治26 20歳没

鏡子と祖母徳川吉子
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■後妻 島津忠義公爵の娘 知子 山階宮常子妃の妹・久邇宮俔子妃の妹
1875-1948 明治08-昭和23 73歳没
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●前妻の子 須美子 溝口直亮伯爵夫人
●前妻の子 穀子  土屋拳直子爵夫人
●前妻の子 艶子  立花鑑徳子爵夫人
●前妻の子 繍子  徳川武定子爵夫人
●後妻の子 達成  次代当主
●後妻の子 恵子  大久保寛一子爵夫人


左から 艶子 繍子 須美子 穀子
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左から 達成 達孝 恵子 知子夫人 繍子 
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男性左から 達孝 達成 立花鑑徳子爵
女性左から 繍子 知子夫人 須美子 穀子 艶子 
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困窮した多くの華族家の財産整理を手助けした 尾張徳川義親侯爵の日記

田安伯を訪ねる。伯は病中なりしも面会出来。
田安家の整理について話す。田安家は前々より財政的に困難なればなり。

三田の田安家に行き、達孝伯に家政整理につきて懇談する。
同時に達成君にも話す。

華族会館にて千駄ヶ谷公〔本家德川家達公爵〕にお目にかかり、
田安家のことにつきお話を伺う。非常に御心配かつ御嘆きなり。
なんとか良い結末になるよう努力することを申し上げる。

徳川達孝伯、礼に来られる。
田安家の整理につき尽力せるためにお礼にお出でとのこと。
今日まで各家の整理につきて尽力せるも、
田安伯ぐらい早く決心され整理を一任されて進行するものもなく、
また特に感謝されたるもまた初めてなり。
この当然なることが、今まで他家の場合にはなかりし

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◆徳川達成
1899-1961 明治32-昭和36 61歳没


■妻 戸田氏秀伯爵の娘 元子
1907-1989 明治40-平成01 82歳没
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左から 知子夫人 恵子 達孝 達成 元子夫人
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●雅子
●宗英
●宗賢
●宗広
●文子
●宗紀


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子 徳川宗賢

当主ならともかくはずれにいるほど、徳川家がどうなっているのか無責任で無関心なんですよ。
家に関係した仕事を持っているなら何か特別な意識があるかもしれません。
しかし徳川の家業は政治だった
それから切り離されて百年も経ってしまえば家意識は風化してしまう。
むしろ仕事と結びついた家の方が特別な意識があるでしょう。
しかもその周りに家臣団的な家々が付随していますからね。

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by oMUGIo | 2003-01-13 00:00 | 武家華族

尾張徳川侯爵家 その2

●庶子 道子  松平義生子爵の前妻
●庶子 登代子 次々代当主徳川義礼の前妻・離婚
●庶子 義宜  次代当主
●庶子 良子  次々々代当主徳川義礼の後妻
●庶子 富子  毛利元昭公爵と離婚・戸田康泰子爵の3/3番目の妻
●庶子 義恕  徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚


左 富子  右 良子
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●富子 毛利元昭公爵と離婚・戸田康泰子爵の3/3番目の妻
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●義恕 徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚

左 義礼  右 義恕
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●義知  次代当主
●絹子  大炊御門経輝侯爵夫人
●春子  西郷吉之助侯爵と離婚
●義龍  大給義龍伯爵となる 朝香宮鳩彦王の娘湛子女王と結婚
●百合子 佐竹義栄侯爵夫人
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by oMUGIo | 2003-01-12 00:00 | 武家華族

尾張徳川侯爵家 その1

東京本邸 麻布区富士見町 (現:港区南麻布)
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◆徳川斉荘
1810-1845
もと11代将軍徳川家斉の子
田安徳川斉匡の娘猶子の婿養子になり田安徳川家当主を経て尾張徳川家を相続する


■妻 田安徳川斉匡の娘 猶子/友子
1807-1872


●庶子 利子    広島藩主浅野慶熾夫人
●庶子 釧子/釣子 岩村藩主松平乗命夫人
●庶子 昌丸    一橋徳川家当主となる





◆徳川慶臧
1836-1849 13歳没
もと田安徳川斉匡の子





◆徳川慶勝/松平義恕/徳川慶恕
1824-1883 文政07-明治16 59歳没
高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の1番目
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高須四兄弟 左から ④桑名松平定敬 ③会津松平容保 ②一橋徳川茂栄 ①尾張徳川慶勝
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■妻 二本松藩主丹羽長富の娘 矩子
1831-1902 文政13-明治35 71歳没
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●庶子 道子  松平義生子爵の前妻
●庶子 登代子 次々代当主の前妻・離婚
●庶子 義宜  次代当主
●庶子 良子  次々代当主の後妻
●庶子 富子  毛利元昭公爵と離婚・戸田康泰子爵の3/3番目の妻
●庶子 義恕  徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚


左から 良子 富子 米子 義恕 矩子夫人
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◆徳川茂徳
1831-1884 天保02-明治17 52歳没
もと高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の二番目・先代慶勝の弟

父の跡を継いで高須藩11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる→徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる→徳川茂栄





◆徳川義宜
1858-1875 安政05-明治08 17歳没
先々代慶勝の子





◆徳川義礼
1863-1908 文久03-明治41 44歳没
もと高松松平頼聰伯爵の子 婿養子になる

イギリスにて
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■前妻 先々代慶勝の娘 登代子 離婚
1857-1908 安政04-明治41 51歳没


■後妻 先々代代慶勝の娘 良子 前妻の妹
1869-1924 明治02-大正13 55歳没 
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●後妻の子 米子 婿養子を迎え次代当主とする


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『明治閨秀美譚』  明治25年出版

侯爵徳川義礼氏の夫人は旧尾張藩主徳川慶勝君の第二女なり。
姉君についで義礼君に配す。
義礼君 元高松家の公達出でて徳川家を継ぐ。
かつて海外を漫遊し帰朝ののち品行やや修まらず、
朝に新橋の花を弄し夕に柳橋の月を賞し楽しんで帰るを忘れ、
孤閨紅涙宵々夫人の夢魂を騒がせしも、
母公を慰め奴婢を戒め夫の過失を覆うて人に知らしめざらん事を努む。

義礼君離縁の議起こり、旧臣二派に分れて争論沸鼎のごとし。
義礼君 難を避けて名古屋に閉居するや夫人悲泣してしばしば帰邸を促せども、
義礼君 難いまだ定まらざるをもって帰るを肯んぜず。
幾ばくもなく紛議の局を結んで平和の団円を見しは、
夫人の堅志またあずかって大なりと言う。

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◆徳川義親
1886-1976 明治19-昭和51 89歳没
もと福井藩主松平春嶽の子 婿養子になる


*困窮した多くの華族家の財産整理を手助けし、「理財の殿様」と呼ばれた。

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■妻 先代義礼の娘 米子
1892-1980 明治25-昭和55 88歳没
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●義知  次代当主
●絹子  大炊御門経輝侯爵夫人
●春子  西郷吉之助侯爵と離婚
●義龍  大給義龍伯爵となる 朝香宮鳩彦王の娘湛子女王と結婚
●百合子 佐竹義栄侯爵夫人





◆徳川義知
1911-1992 明治44-平成04 81歳没

*イギリスに留学


■妻 外交官松平恒雄の娘 正子 秩父宮勢津子妃の妹
1913- 大正02-
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●三千子
●博子
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by oMUGIo | 2003-01-11 00:00 | 武家華族

清水徳川伯爵家

◆徳川昭武
1853-1910
もと松平昭徳・水戸徳川斉昭の子・将軍徳川慶喜の異母弟
のちに当家を離れて水戸徳川家当主となる





◆徳川篤守
1856-1924 安政03-大正13 67歳没
先代昭武の甥/もと水戸徳川慶篤の子

*米コロンビア大学に留学

*いろいろな事業に手を出して破産、経済的に困窮して爵位を返上
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■妻 小倉藩主小笠原忠幹の娘 登代子 離婚
1865-1939 


●好敏 次代当主
●芳子 朽木綱貞子爵夫人
●貞子 吉井信照夫人
●保子 森明夫 夫人
●守  松平忠威子爵の娘裕香子と結婚
●明  士族川上明となる
●鈴子 小原十三司夫人
●光 
●重子 坪田修吉夫人
●雄  山田雄となる


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孫 徳川豪英

祖父はものすごく事業欲に燃えていたらしい。山を買うとか名誉職につくとか、
ともかく大穴を開けてぶっ潰れた。破産ですね。

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◆徳川好敏
1884-1963 明治17-昭和38 78歳没

*フランスの飛行学校に留学

*功績が認められて男爵となる

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■妻 松平忠威子爵の娘 千枝子
1896-1973 明治29-昭和48 77歳没


●佐枝子 土屋義弥夫人
●豪英  次代当主
●久美子 古月晴夫人
●華子  高木恭治夫人
●輝尚
●富美子 堀川正秀夫人


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徳川豪英

親父には親戚から名前をあげろという圧力はあったでしょうね。
親父はわりあいハイカラな方で、自転車も珍しい時代にオートバイを乗り回していた。
機械が好きで自然にあの道に入ったんじゃないですか。

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◆徳川豪英
1922- 大正11-


■妻 伊東重吉の娘 和嘉子
1927- 昭和02-


●恵
●栄
●真
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by oMUGIo | 2003-01-10 00:00 | 武家華族

紀州徳川侯爵家 その2

●前妻の子 久子 婿養子を迎え次代当主とする
●前妻の子 孝子 伊達宗陳侯爵の後妻
●後妻の子 保子 松平頼和子爵夫人


●孝子 伊達宗陳侯爵の後妻
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●保子 松平頼和子爵夫人
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by oMUGIo | 2003-01-09 00:00 | 武家華族

紀州徳川侯爵家 その1

東京本邸 麻布区飯倉町 (現:港区東麻布) 1万2000坪


◆徳川茂承
1844-1906 天保15-明治39 62歳没
もと西条藩主松平頼学の子 松平頼久
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■前妻 伏見宮邦家親王の娘 則子女王 
1850-1874 嘉永03-明治07 23歳没


■後妻 本多忠興の娘 広子
1856-1886 安政03-明治19 30歳没


●前妻の子 久子 婿養子を迎え次代当主とする
●前妻の子 孝子 伊達宗陳侯爵の後妻
●後妻の子 保子 松平頼和子爵夫人





◆徳川頼倫
1872-1925 明治05-大正14 52歳没
もと田安徳川慶頼の子 婿養子になる

イギリスにて
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■妻 先代茂承の娘 久子
明治06-
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●頼貞 次代当主
●宣方
●治  落馬で死亡





◆徳川頼貞
1982-1954 明治25-昭和29 61歳没

*ケンブリッジ大学に留学

イギリスにて
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後列中央が頼貞
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■妻 島津忠義公爵の娘 為子 山階宮常子妃の妹・久邇宮俔子妃の妹
1898-1989 明治31-平成01 91歳没
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頼貞夫妻 音楽家エフレム・ジンバリストと
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●頼韶 次代当主
●宝子 婿養子を迎え次々代当主とする


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版  ※当時の総理大臣の年給は9,600円

先代の頼倫侯爵は物柔らかな利口な人物であったが、
当主の頼貞侯爵はあまり評判が良くない。
頼倫侯爵が死んだ時、頼貞侯爵は3000万円の財産を相続して80万円の相続税を納めた。
その前には十五銀行の騒ぎに56万なにがしの損害をこうむった。
それやこれやで財政が苦しくなったので、
昭和03年に什器の売り立てをやって臨時収入200万円を手に入れた。

頼貞侯爵は旧弊な家職どもに取り囲まれているにもかかわらず、
皮肉にも日本より外国のことを好む。特にフランスのことを好む。
だから紀州家の本邸は万事フランス式でやっているが、
特に台所は一切フランス張りでその料理が頼貞侯爵の何よりの自慢だとある。
これは先年頼貞侯爵が大阪ホテルで食事をした時料理が非常にお気に召したところから、
そこのコックを高い給金をはらって本邸へ雇い入れてから始まったという話だ。

紀州家では予算制度がやまかしくて、1年の経常費を50万円と計上している。
先代頼倫侯爵の時には80万円であったが、当時は使用人が70人もいた。
今は西洋風の簡単な生活で、頼貞侯爵の召使としては4人きりである。
それで年50万円といえば、月に割って2万5000円の勘定となる。
どんな贅沢でもできそうに思われるが、
頼貞侯爵に言わせると自由に使える金といってはあまりないそうだから、
生活費以外に無駄な金がよほど消えるのであろう。
昭和05年の春、欧米漫遊の旅に立った。
一行は7名それで旅費として月に1万円ずつ費やす予算であったが、
行ってみるとその倍額の要求となり、外遊2年の間に50万円に近い金を使ってしまった。


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紀州徳川家の相談役 経済学者上田貞次郎の日記 昭和02年04月

徳川家の問題はもちろん財政整理である。
今春は予定通り什宝売却を断行して好成績であった。
売上160万円に達した。手取り124万9000円。
しかし十五銀行破綻のために毎年7万円の収入減となる。
頼貞侯爵も大いに節約の意思はあるが、実行はできない。
本邸は今年も予定超過で、総額20万円以上使っている。
今借金は210万円で昨年末に比すれば70万円減じたが、
結局本邸も売却しなければ整理はできない。


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紀州徳川家の相談役 経済学者上田貞次郎の日記 昭和04年09月

徳川家の借金はまだ250万円ある。先代からの引き継ぎの時350万円あったのが、
什器売却で100万、土地売却で200万作ったにも関わらず100万しか減らないのは、
現在支出超過が毎年2,30万円ずつあるからだ。
頼貞侯爵は今外遊中だが毎月1万円の旅費を予定していたのに、
05月以来すでに8万円すなわち倍額出ている。
何事にしても主人が締まらなければ何もならぬ。
この顧問の仕事は実に馬鹿馬鹿しい。


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昭和09年06月19日の東京朝日新聞に
『徳川侯爵家を恨み老植木師が服毒 積立金を返さぬと』という記事が出る。
長年紀州徳川家に雇われていた植木職人が紀州徳川家事務所に
給料から天引きで積み立て貯金をしていたのに、退職の際に総額804円を返してもらえなかった。
何度事務所にかけあっても拒否されたので、徳川家の中で猫イラズを飲んで抗議の自殺をした。
後日遺族に1000円の弔慰金を支払うことで決着した。

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徳川頼貞は東京大崎に洋風の大邸宅を作り、<パレス・クィーン・エリザベス>と名づけた。
パーティーを開くときは、金ピカの制服を着た召使を玄関に立たせ、
ヨーロッパ宮廷風に招待客の名前を読み上げさせた。

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徳川正子 松平恒雄の娘/尾張徳川義知夫人

駐英大使で赴任した父の後を追って私もロンドンに参りましたのですが、
ちょうど頼貞様の御外遊の時期でごさいました。
お嬢さんの宝子さんがまだお小さくて、5つぐらいでしたでしょうか。
郊外の方にバトラーがいるお家をお借りになって、
看護婦が宝子さんをつきっきりで看ておりました。


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◆徳川頼韶
1917-1958 大正06-昭和33 41歳没





◆徳川剛
1924-  大正13
もと日系二世の青山由太郎の子 婿養子になったが離婚


■先々代頼貞の娘 宝子


●宣子
●礼子


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戦後為子夫人は池袋の西武デパートに【お子様食堂】を始めたが、
デパート改修とともに終わった。
娘宝子も日比谷の三井ビルにレストラン【マルキーズ】を始めたが、
夫が権利を売りとばして逃げてしまった。
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by oMUGIo | 2003-01-08 00:00 | 武家華族

水戸徳川公爵家 その2

●実子 慶篤/徳川慶篤  次代当主
●庶子 昭徳/池田慶徳  鳥取藩主
●実子 昭致/徳川慶喜  一橋徳川家当主を経て15代将軍徳川慶喜
●庶子 昭融/松平直侯  川越藩主
●庶子 昭休/池田茂政  岡山藩主
●庶子 昭音/松平武聰  浜田藩主
●庶子 昭縄/喜連川縄氏 喜連川藩主
●庶子 昭嗣/松平忠和  島原藩主
●庶子 昭邦/土屋挙直  土浦藩主
●庶子 昭徳/徳川昭武  清水徳川家当主を経て次々代当主
●庶子 昭則/松平喜徳  会津藩主を経て守山藩主
●庶子 昭鄰/松平頼之  守山藩主


●庶子 賢子/佐加子 宇和島藩主伊達宗城婚約者
●庶子 祝子/欽子  山野辺義正夫人
●庶子 松子/明子  盛岡藩主南部利剛夫人
●庶子 八代/孝子  仙台藩主伊達慶邦夫人
●庶子 茂子/貞子  有栖川宮熾仁親王妃
●庶子 愛子/真子  高岡藩主井上正順夫人
●庶子 正子     鹿奴藩主池田徳澄夫人


●昭嗣/松平忠和 島原藩主
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●本妻の子 昭子 松平頼寿伯爵夫人
●八重の子 政子 毛利元雄子爵夫人
●八重の子 武定 徳川武定子爵となる 田安徳川達孝伯爵の娘繡子と結婚
●八重の子 直子 松平斉光男爵夫人
●八重の子 温子 京極高修子爵夫人


●昭子 松平頼寿伯爵夫人
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●武定 徳川武定子爵となる 徳川達孝伯爵の娘繡子と結婚
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●直子 松平斉光男爵夫人
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●温子 京極高修子爵夫人
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●圀順 次代当主
●敬子 松浦陞伯爵夫人
●敬信 一橋徳川宗敬伯爵となる


●敬子 松浦陞伯爵夫人
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●敬信 一橋徳川宗敬伯爵となる
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by oMUGIo | 2003-01-07 00:00 | 武家華族

水戸徳川公爵家 その1

東京本邸 本所区新小梅町 (現:墨田区向島)


◆徳川斉昭
1800-1860 寛政12-万延01 60歳没
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■有栖川宮織仁親王の娘 吉子女王
1804-1893 文化01-明治26 88歳没
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●実子 慶篤/徳川慶篤  次代当主
●庶子 昭徳/池田慶徳  鳥取藩主
●実子 昭致/徳川慶喜  一橋徳川家当主を経て15代将軍徳川慶喜
●庶子 昭融/松平直侯  川越藩主
●庶子 昭休/池田茂政  岡山藩主
●庶子 昭音/松平武聰  浜田藩主
●庶子 昭縄/喜連川縄氏 喜連川藩主
●庶子 昭嗣/松平忠和  島原藩主
●庶子 昭邦/土屋挙直  土浦藩主
●庶子 昭徳/徳川昭武  清水徳川家当主を経て次々代当主
●庶子 昭則/松平喜徳  会津藩主を経て守山藩主
●庶子 昭鄰/松平頼之  守山藩主


●庶子 賢子/佐加子 宇和島藩主伊達宗城婚約者
●庶子 祝子/欽子  山野辺義正夫人
●庶子 松子/明子  盛岡藩主南部利剛夫人
●庶子 八代/孝子  仙台藩主伊達慶邦夫人
●庶子 茂子/貞子  有栖川宮熾仁親王妃
●庶子 愛子/真子  高岡藩主井上正順夫人
●庶子 正子     鹿奴藩主池田徳澄夫人





◆徳川慶篤
1832-1868 天保03-慶応04 35歳没


■前妻 有栖川宮幟仁親王の娘 幟子女王
1835-1856 


■後妻 広幡基豊の娘 経子
1837-1876


●前妻の子 斐子
松平定教子爵と婚約解消(松平定敬とされるのは誤り)・蜂須賀茂韶侯爵の後妻となる
●側室の子 篤敬 
●側室の子 篤守 清水徳川篤守伯爵となる





◆徳川昭武
1853-1910 嘉永06-明治43 56歳没
もと水戸徳川斉昭の子・徳川慶喜の異母弟
清水徳川家当主を経て11代当主となる

*ヨーロッパを外遊
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フランスにて
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ナポレオン3世から贈られた犬リヨンと
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■妻 中院通富の娘 盛子
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★側室 斉藤貫行の娘八重 正妻の死後、側室を持った
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●本妻の子 昭子 松平頼寿伯爵夫人
●八重の子 政子 毛利元雄子爵夫人
●八重の子 武定 徳川武定子爵となる 田安徳川達孝伯爵の娘繡子と結婚
●八重の子 直子 松平斉光男爵夫人
●八重の子 温子 京極高修子爵夫人





◆徳川篤敬
1855-1898 安政02-明治31 42歳没
先々代慶篤の子
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■妻 高松松平頼聡伯爵の娘 聡子
1869-1934 明治02-昭和09 65歳没
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イタリアにて 中央が聡子夫人 右端が篤敬
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●圀順 次代当主
●敬子 松浦陞伯爵の前妻・本人死別
●敬信 一橋徳川宗敬伯爵となる




◆徳川圀順
1886-1969 明治19-昭和44 82歳没
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■前妻 将軍徳川慶喜の娘 英子 死別
1887-1924 明治20-大正13 37歳没
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■後妻 石野基道子爵の娘 彰子
1900-1991 明治33-平成03 91歳没


●前妻の子 圀斉 次代当主
●前妻の子 典子 香川敬男伯爵夫人
●前妻の子 圀禎 結婚3回
北白川宮成久王の娘多恵子女王→長谷部天信の娘愛子→大友協介の娘桃子
●前妻の子 圀秀 松平圀秀子爵となる 小笠原恒の娘芳子と結婚
●後妻の子 圀弘 松平圀弘子爵となる 鷲尾光遍の娘善子と結婚





◆徳川圀斉
1912-1986 明治45-昭和61 74歳没


■浅野長武侯爵の娘 頼子
1923-  大正12-


●斉正
●斉英
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by oMUGIo | 2003-01-06 00:00 | 武家華族

徳川慶喜公爵家 その2

●生母不明 鏡子 田安徳川達孝伯爵の前妻 本人死亡
●幸の子  厚  徳川厚男爵となる 福井藩主松平春嶽の娘里子と結婚
●信の子  鉄子 徳川達道伯爵夫人
●幸の子  筆子 蜂須賀正韶侯爵夫人
●信の子  仲  池田輝知侯爵の娘亨子の婿養子になり池田仲博侯爵と改名する
●幸の子  浪子 松平斉男爵夫人
●幸の子  国子 大河内輝耕子爵夫人
●信の子  経子 伏見宮博恭王妃
●幸の子  糸子 四条隆愛侯爵夫人
●信の子  慶久 次代当主
●信の子  英子 水戸徳川圀順公爵の前妻・本人死別
●幸の子  誠  徳川誠男爵となる 名和長慶男爵の娘霽子と結婚
●信の子  精  勝海舟の姪伊代子の婿養子になり勝清伯爵となる


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*慶喜の息子たちはみな慶喜に似て趣味人で、趣味の範囲が広い。
しかし、慶喜と同じく趣味であろうと女であろうと、対象に凝りすぎ没頭しすぎる傾向があった。

●鏡子は4人の子を残して20歳で死亡
●厚は交通事故や詐欺事件を起す
●浪子は結婚後半年で妊娠中に夫が失踪し死亡認定
●国子は不倫事件を起す
●慶久は睡眠薬の量を誤って死亡(自殺説あり)
●誠は妻の母親が電車のホームから転落死
●精は妾と心中して死亡
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後列左から 糸子 英子 国子
前列左から 鉄子 経子 浪子
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後列左から 誠 仲 厚 浪子 慶久 精 
前列椅子左から 国子 鉄子 慶喜 経子 糸子 英子 
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●鏡子 田安徳川達孝伯爵の前妻 祖母と(徳川吉子・慶喜の母)
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●厚 徳川厚男爵
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●鉄子 徳川達道伯爵夫人
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●筆子 蜂須賀正韶侯爵夫人
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●仲 池田輝知侯爵の娘亨子の婿養子になり池田仲博侯爵と改名する
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●浪子 松平斉男爵夫人
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●国子 大河内輝耕子爵夫人
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●経子 伏見宮博恭王妃
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●糸子 四条隆愛侯爵夫人
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●英子 水戸徳川圀順公爵の前妻・本人死別
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●精 勝海舟の姪伊代子の婿養子になり勝清伯爵となる
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by oMUGIo | 2003-01-04 00:00 | 武家華族


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