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徳川慶喜公爵家 その1

東京本邸 小石川区小日向第六天町 (現:文京区春日)

軽井沢別邸
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◆徳川慶喜
1837-1913 天保08-大正02 76歳没
15代将軍 最後の将軍である
維新後は徳川慶喜家を創設し公爵となる
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■妻 一条美賀/美賀子 もと今出川公久の娘
1835-1894 天保06-明治27 59歳没

*最初慶喜の婚約者は一条忠香の娘千代/照子であったが、
結婚直前に天然痘になってしまったため、代りに美賀が一条家の養女となり慶喜に嫁いだ。
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★側室 一色須賀 旗本一色貞之助定住の娘
1838-1929 天保09-昭和04 91歳没

*正室美賀に御殿女中として仕え、慶喜の側室となった。
維新後は老女として家政を取り仕切った。
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★側室 新村信 旗本の娘 
 -1905   -明治38年
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★側室 中根幸 旗本の娘 
1836-1915 天保07-大正05 77歳没
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*側室の信と幸は姉妹のように仲が良く、毎晩交代で夜伽を務めた。
信は色白で痩せ型の美人で、幸は少し色黒で大柄で粋なタイプだった。
夜伽の日は局で入浴して夜化粧をして、
慶喜が夜食をとっている間に次の間で煙草を吸って待っていた。
夜伽のない日は湯番殿を務めた。
二人とも各12人子供を生んだ。


●生母不明 鏡子 徳川達孝伯爵の前妻 本人死亡
●幸の子  厚  徳川厚男爵となる 福井藩主松平春嶽の娘里子と結婚
●信の子  鉄子 徳川達道伯爵夫人
●幸の子  筆子 蜂須賀正韶侯爵夫人
●信の子  仲  池田輝知侯爵の娘亨子の婿養子になり池田仲博侯爵と改名する
●幸の子  浪子 松平斉男爵夫人
●幸の子  国子 大河内輝耕子爵夫人
●信の子  経子 伏見宮博恭王妃
●幸の子  糸子 四条隆愛侯爵夫人
●信の子  慶久 次代当主
●信の子  英子 水戸徳川圀順公爵の前妻 本人死亡
●幸の子  誠  徳川誠男爵となる 名和長慶男爵の娘霽子と結婚
●信の子  精  勝海舟の姪伊代子の婿養子になり勝清伯爵となる





◆徳川慶久
1884-1922 明治17-大正11 37歳没

*睡眠薬カルモチンの量を間違えて死亡。自殺説もある。
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■妻 有栖川宮威仁親王の娘 実枝子女王
1891-1933 明治24-昭和08 42歳没
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●実子 喜久子 高松宮宣仁親王妃
●実子 慶光  次代当主
●庶子 喜佐子 榊原政春子爵夫人
●庶子 久美子 松平康愛と死別・井手次郎と再婚


左から 高松宮喜久子妃 実枝子夫人
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左から 高松宮喜久子妃 久美子 実枝子夫人 喜佐子 慶光
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左から 久美子 喜佐子
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喜佐子&榊原政春子爵
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松平幸子子爵夫人の証言


*慶喜の息子たちはみな慶喜に似て趣味人で、趣味の範囲が広い。
しかし、慶喜と同じく趣味であろうと女であろうと、対象に凝りすぎ没頭しすぎる傾向があった。

美枝子様は慶光様をお産みになったあと少し胸を悪くなさいまして、
一時期転地療養をなさったことがあるのです。
美枝子様というお方は歌右衛門が舞台でやる女形に似た美人のうえ
お気持ちのお優しいお方でしたので、
転地をなさる前に慶久様に御不自由をおかけしては申し訳ないという
お考えになられたのでしょう。御自分も納得の上で
宮家から連れてきた御側女中の中から一人を公にかしずけておきました。
慶久様は必然的な御身体の御要求かは存じませんが、
この女性を心底お好きになられてお愛しになったようです。
これはお父上や御兄弟と似た御性格でひとことに没頭なさいまして、
お二人の女のお子様をお産ませになるのです。

そろそろ美枝子様の御身体も回復なさっていらっしゃって、癪にさわってきたのね。
役者遊びをなさるようになったのだそうです。
そのうちにおみお腹もただならずおなり遊ばしたのね、妊娠したのよ。
慶久様は美枝子様のおぐしをお持ちになり、
お引き回しにされたことも何度かおあり遊ばされたということでした。
あまり御夫婦喧嘩かひどいものですから仲裁するお方があり、
再度日赤の顧問だか特使だかになってもらい、
渡欧だか渡米だかをしてもらうお約束が出来ていたのですよ。
冷却期間を置かせようとしたのでしょう。それで出発の期日も決まっていたようです。
その頃から公の毎夜召し上がる睡眠薬の量も急増しましたし、
自殺のように一部の方は思ってらっしゃるけど、
自殺じゃなくて眠られぬまま飲んだカルモチンの量を間違えた過失死だったの。

慶久様がお妾にお産ませになった二人のお嬢様は
無事育ってお嫁にいらっしゃいましたけど、美枝子様の方は存じません。


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枢密院議長 倉富勇三郎の日記 大正10年12月08日

宮内官僚松平慶民子爵の台詞

今朝徳川慶久来り貴官に面会せんと欲したるも、不在なりしをもって自分に話したり。
徳川は「今年末よりカリフォルニアあたりに行かんと欲す


倉富&宮内大臣牧野伸顕伯爵の会話

牧野◆徳川の家庭に関することを聞き居るや。
倉富◆何も聞くところなし。
ただし徳川より庶子出生届を出したるは妙なことなりと思い居るのみ。
牧野◆徳川が赤十字の用務を帯び洋行して帰りたる頃よりのことなりとかいうことなり。
夫婦のあいだ調和を欠き、慶久はそのため極度の神経衰弱を病み居るとのことなり。
徳川の不在中 夫人が待合に入りたることあり。また芝居観に行きたることありとかいうことなり。
名家の家庭にこの如き風聞あるは実に困りたることなり。



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倉富日記 大正10年12月20日

<倉富&牧野伸顕の会話>

牧野◆徳川慶久が一昨年頃、西洋より帰りたる後嫉妬を起こしたり。
その原因は不在中 妻が待合に行きたること家扶と私したることありということ等なる由。
慶久は一度は離婚を言い渡したるも妻これに応ぜず
ある時は妻を厳責したるも服せざるため、ついに刀をもってその髪を切りたるも、
わずかに切りたるのみなりし由。その後 妻は葉山の有栖川宮別邸に行き居る由なり。
慶久は近々洋行する由なるが、娘喜久子を伴い妾を随行せしむる由にて、
妻は異見なきも娘が悪感化を受くることを気づかいおるとのことなり。


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倉富日記 大正10年12月24日

倉富&有栖川宮付事務官武田尚の会話

倉富◆徳川慶久と夫人との間反目しおらざるや。
武田◆夫人弱体にてこれまで3回流産せられたるゆえ医師避妊を勧め、
そのため別邸に転地せられおる事多く、夫人より妾を勧められおる事は聞きおれり。


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倉富日記 大正11年02月28日

宮内官僚松平慶民子爵の台詞

有栖川宮慰子妃が娘の徳川慶久未亡人美枝子が慶久の十日祭に参列せず
またその髪を切りたる事につき話あり。
「一度の相談もせずしてこのごとき事をなしては困る」との事なりし由なり。

また徳川厚男爵の妻すなわち自分の姉里子も、
十日祭に親族は集まりたるも主なる未亡人がおらざりしとて不満を唱えおりたり。


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◆徳川慶光
1913-1993
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■妻 会津松平保男子爵の娘 和子
1917-2003
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左から 喜佐子 和子夫人 久美子
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●安喜子
●慶朝
●真佐子
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by oMUGIo | 2003-01-03 00:00 | 武家華族

本家徳川公爵家 その2

●家正 次代当主
●綾子 福井松平康昌侯爵夫人
●綏子 鷹司信輔公爵夫人
●繁子 松江松平直国伯爵夫人


左から 繁子 綏子 綾子
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後列立つ左から 繁子 家正 綏子
前列椅子左から 正子夫人 泰子夫人 家達 綾子
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●家英 早逝
●豊子 外交官松平恒雄の子松平一郎/秩父宮勢津子妃の兄と結婚
●敏子 上杉憲章伯爵の子上杉隆憲夫人
●順子 保科正昭子爵の子保科光正と死別・関根勇吉と再婚


後列和服女性左から 不明 繁子 敏子 豊子 順子 不明
前列椅子左から 正子夫人 綏子 泰子夫人 家達 綾子 家英
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左から 順子 豊子 敏子
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豊子&松平一郎夫妻
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by oMUGIo | 2003-01-02 00:00 | 武家華族

本家徳川公爵家 その1

東京本邸 豊多摩郡千駄ヶ谷町 (現:渋谷区千駄ヶ谷) 10万坪
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◆徳川家茂●子供ナシ
1846-1866 弘化03-慶応02 20歳没
もと紀州徳川斉順の子


■妻 仁孝天皇の娘 和宮親子内親王 孝明天皇の妹
1846-1877 弘化03-明治10 30歳没
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◆徳川慶喜
大政奉還のあと本家から離れて徳川慶喜家を創設する





◆德川家達
1863-1940 文久03-昭和15 76歳没
もと田安徳川家当主

*イギリスに留学
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■妻 公家近衛忠房の娘 泰子
1867-1944 慶応03-昭和19年 76歳没
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●家正 次代当主
●綾子 福井松平康昌侯爵夫人
●綏子 鷹司信輔公爵夫人
●繁子 松江松平直国伯爵と離婚


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枢密院議長 倉富勇三郎の日記 大正11年02月07日

倉富&宮内大臣牧野伸顕伯爵の会話

牧野◆君は徳川家達の隠事を聞きおるや。
倉富◆聞かず。
牧野◆宗秩寮総裁が知らずしては困る。4,5年前の事なりし様なり。
家達は華族会館に宿泊する事あり。会館の給仕を鶏姦〔男色〕し、
その事が度重なり給仕より荒立てたるため、1万円出金して落著したる事あり。
しかるに本人はさほどこれを悪事と思わず、改むる模様なし。
先年家達を学習院の総裁となすの内儀を定めたるところ松浦厚伯爵が強硬に反対し、
「もしこれを遂行するならば、鶏姦の事実を暴く」とまで主張したるため、
ついにそのままとなりたるとのことなり。
この事は自分から当時の宮内大臣波多野敬直子爵に問いたるに「事実なり」と言えり。
徳川頼倫侯爵〔家達の弟〕も、
「兄が恥を知らず、今なお公職を執り隠退の考えなきには困る」と言いたる事あり。
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◆徳川家正
1884-1963 明治17-昭和38 78歳没

*イギリスに留学


■妻 島津藩主島津忠義の娘 正子 山階宮常子妃の妹・久邇宮俔子妃の妹
1885-1963 明治18-昭和38 79歳没

*徳川家定御台所で薩摩藩出身の天璋院篤姫が縁組を命じていたため、
二人の結婚は生まれる前から決まっていた。

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イギリスにて
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●家英 早逝
●豊子 外交官松平恒雄の子松平一郎/秩父宮勢津子妃の兄と結婚
●敏子 上杉憲章伯爵の子上杉隆憲夫人
●順子 保科正昭子爵の子保科光正と死別・関根勇吉と再婚


三代 家達 家正 家英
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アサヒグラフ 昭和2年1月12日

<殿様根性の抜けない御曹子 平民同様任地で浮名を流す>

利口者であるとも言われるが、最も悪い欠点は殿様根性の抜けないことである。
ちょっと困ったことは手癖の悪いことである。
欲しいと思うとすぐ手をおつけになる。これがために新婚早々から失敗の歴史が多い。
ロンドンの一等書記官時代にはさすがの霞が関のお役人も
当惑してしまったという事件を引き起こした。
相手の女性というは舞踏会に出入りするお嬢さんではあるが、
在留日本人の御用を承るような街の女ではなかった。
侯爵の御曹子なることを振り回したことが少し薬が効きすぎて、
お嬢さんをすっかり有頂天にさしてしまった。
事これに至っては捨てても置けぬということになって、
霞が関から徳川氏に対し帰朝命令が発せられた。
さすがに相手も日本までは追いかけてこなかったのでこの問題も無事に解決して、
徳川氏はさらにシドニー総領事として赴任した。
島津家から嫁いだ令夫人も、お父様のようになるんだと
未来の外交官を夢見ているお子様たちには外交官にはなるものではないと
しきりに言い聞かせてその成人を楽しんでいるということである。


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娘 上杉敏子 上杉憲章伯爵の子上杉隆憲夫人

祖母がとてもできた人で、男勝りですし私達の面倒を全部看ていました。
母は姑が万事仕切っていますから何の発言権もありません。
ちょっと脇にどけられて気の毒でした。
私達は学校から帰れば祖母の部屋に行って学校の事でも何でも話して、
お小遣いも祖母からもらっていました。私達は祖母と親子みたいでしたね。
逆に母は気の毒なくらい存在の薄い人でした。
外交官の奥さんにもまったく向かず、母は東京に帰されて父は単身赴任でした。
母はずっと一人で東京にいて、孤独で可哀想でした。


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◆徳川恒孝
先代家正の甥/先代の娘豊子&松平一郎の子


■妻 寺島宗従伯爵の娘 幸子
1941-


●家広
●美子
●典子
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by oMUGIo | 2003-01-01 00:00 | 武家華族


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