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土井子爵家 古河藩主

東京本邸 本郷区駒込曙町 (現:文京区本駒込)


土井子爵家は東京の大地主として
大正期の資産高は100万円、昭和期の資産高は270万円あった。

※当時の総理大臣の年給は1万2000円




◆土井利与 最後の藩主
1851-1929 78歳没
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■前妻 篠山藩主青山忠良の娘 千嘉子 死別
1854-1889 35歳没


■後妻 黒羽藩主大関増徳の娘 銑子
1870-


●利孝  次代当主
●富美子 大橋篤治夫人
●与志子 井関保久夫人
●利正  平岡アヤと結婚
●辰子  金沢修三夫人
●利大  中広亮子と結婚
●美恵子 高田政治夫人





◆土井利孝
1901-1971 70歳没


■前妻  土井利剛子爵の娘 錦子 離婚
1903-1993 90歳没


■後妻 大久保鋳太郎の娘 幸子
1918-1993 75歳没


●前妻の子 利泰
●前妻の子 博子
●後妻の子 卓也
●後妻の子 幸也
●後妻の子 当子
●後妻の子 典子


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版  ※当時の総理大臣の年給は1万2000円

土井利与子爵はこれがまた恐ろしい旧弊な御前。
新しいことは大の嫌いで、日常の生活をちょっと言ってみるならば、
屋敷の奥まった一室に白の下着に羽二重の着付けで脇息にもたれ
白綸子の座布団の上に端然と座り、
左右に侍る腰元ども相手に「苦しうない、近う寄れ」をやっていたものだ。
退屈になると「弓術を致す」とあって庭へ出る。
70を越した老年後もその時の元気は30代に見えた。
元気なのは弓術のみでなく、
腰元どもを相手に近う寄れをやる時にも壮者をしのぐ精力家であったとか。
その元気にまかせて子供を産ませた召使だけでも3人ある。73の時にも子供を1人生ませている。
この調子で100まで生きたらまだまだ3人や4人は産ませるだろうとの噂であったが、
昭和03年に78歳でポキリと死んでしまった。

跡取り息子の利孝子爵はこれはまたなんとしたことか親父には似ても似つかぬ新しがり屋で、
その新しがりにまかせていろいろな事をやり、
ついには礼遇停止を食って一時問題となった人物だが、
老子爵が世の中との関係を断って大弓をいたしている間は同じ8万石の殿様でも
土井家はなかなか内福だという噂で東京の多額納税者の一人であったが、
嗣子利孝子爵の代になると邸内の空気がガラリと変わって
一度に夜が明けたように明るくなったが、それとともに土井家の屋台骨がぐらつきだした。

新しい事を好む利孝子爵はまず写真道楽を始めた。
それから当時日本にはまだ一台もないという立派な活動写真機を買い込んで方々担ぎ回った。
小笠原長隆子爵が小笠原プロダクションに始めたのもこの頃であるが、
いわゆる類をもって集まるの例で
利孝子爵もこの俗にボロダクションと言われた小笠原プロに入って技師となり、
怪しい手つきでハンドルを回したものである。
これが縁となって女優や活動技師やそれに関係のある人々との交際が始まった。
そしていい気になっている間に活動山師という恐ろしい狼に噛みつかれて
親父の老子爵が大弓を致したり若い腰元どもを相手に精力の発散をやっている隙を狙って
どしどしお金を持ち出して使った。
ロシアに素敵な金鉱があってちょっと掘ると100万円ぐらいの金はすぐ出るというが
ひとつやってみてはどうかというような話が出てくる。
よかろうというので金をつぎ込む。ところが儲かるはずのが、元も子も返ってこない。
嫌気がさして手を引くと、相手の男から35万円の損害賠償の訴えが出た。
驚いたのは老子爵でさっそく準禁治産の申請をしたが、
調べてみるとあちらでも30万こちらでも40万と法律上当然利孝子爵が負担すべき借金が
方々から出てきてその総高が180万円ということになった。
これでは土井家がいくら多額納税者でも手のつけようがない。
すったもんだと揉み合っているうち老子爵はポキリと死んでしまったので
当然利孝子爵が跡を継いだが、
問題はいよいよこんがらがってきてついに礼遇停止ということになった

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by oMUGIo | 2004-05-20 00:00 | 武家華族

高木子爵家 丹南藩主

◆高木正善 最後の藩主
1853-1920 嘉永06-大正09 67歳没
もと旗本高木守庸の子


■妻 高崎藩主大河内輝聴の娘 銑子
1858-1927 安政05-昭和02 69歳没


●糸子 細谷源四郎夫人
●留子 立川太郎夫人
●正得 次代当主
●正光





◆高木正得
1894-1948 明治27-昭和23 54歳没 自殺

*戦後経済的に行き詰まり、
昭和23年07月「自然に融合して還るのみ」という遺書を残して奥多摩山中に姿を消した。
同年末、遺体が発見される。


■妻 入江為守子爵の娘 邦子
1901-1988  明治34-昭和63 87歳没
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●衣子  木越安綱男爵の子正順を婿養子に迎え次代当主とする
●百合子 三笠宮崇仁親王妃
●桃子  京極高晴夫人
●小夜子 高丘季昭子爵夫人


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『近代日本の上流階級』  タキエ・スギヤマ・リブラ著

一般に華族出身の情報提供者たちは、
皇族に輿入れすることは望ましくないとの考えだった。
皇族が自分の娘や息子との結婚を検討中という風聞に接すると、
その家族はすぐさま別の相手との結婚を取り決めるのであった。
このような縁組は【宮様よけ】と呼ばれたが、皇族からの縁談を断るための結婚だった。

このように皇族との婚姻が忌避される一つの理由は、
娘を皇室に嫁がせる側の経済的な負担である
妃を出す家は巨額の持参金や婚礼の費用を負担しなければならないほか、
宮家の上から一番下の使用人に至るまで全員に対して常に贈り物を届け出なければならない。
そのうえ妃の実家は皇族の親族として遜色ない生活様式を維持しなければならず、
皇族と皇族関係者への贈答品をはじめとして社交上の義務を果たさなければならない。

ある内部関係者によれば、この摂家の娘がある宮家に嫁ぐことが決まった時、
当家の家職は持参金に含められるべきものとしてピアノなどの目録を提示してきた。
特注しなければならない高価な品物は、
注文で作らせる十二単・ローブデコルテ・ダイアモンドの散りばめられた宝冠などだった。
またお妃になる女性は
書道や詩歌・茶道・華道・琴などを高名な師範について習得しなければならず、
しかもそれらの経費はすべて彼女の実家が負担しなければならなかった。

さらに婚礼後は彼女の実母は盆・暮れ・正月などに宮家を訪れたが、
その際には娘の義理の両親から【表】【奥】両方の使用人に至るまで
全員に贅沢な贈り物を持参した。
最優的にこうした物を供出したのは妃殿下の実家ではなく、
裕福な大名家出身だった母方の実家だった。

別の情報提供者は
「運転手に至るまですべての人に贅沢な贈り物を届けて喜ばせなければ
娘がいじめられるのです」
と語っていた。
彼によれば、三笠宮殿下の義理の父だった高木子爵を自殺に追いやったのは、
ひとえにこのような経済的負担のためだったという。

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◆高木正順
1913-1978 大正02-昭和53 65歳没
もと木越安綱男爵の子 婿養子になる


■妻 先代正得の娘 衣子
1921- 大正10-


●由美子
●信宏
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by oMUGIo | 2004-05-19 00:00 | 武家華族

青山子爵家 郡上藩主

◆青山幸宣
1854-1930 嘉永07-昭和05 76歳没
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■最初の妻 広幡忠礼侯爵の娘 定子


■2番目の妻 彦根藩主井伊直弼の娘 待子
1854-1904 安政01-明治37 50歳没


■3番目の妻 藤堂高邦子爵の娘 文子
1878- 明治11-
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●幸直 次代当主
●孝子 細川源三郎夫人
●幸泰
●幸徳 岩城隆徳子爵となる
●幸高
●幸敬 中井幸敬となる


●幸泰
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●幸徳 岩城隆徳子爵となる
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◆青山幸直
1884- 明治17-


■松平乗承子爵の娘 愛子
1887- 明治20-
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●幸寿
●かつ子


幸宣&文子夫人  幸直&愛子夫人
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by oMUGIo | 2004-05-18 00:00 | 武家華族

酒井伯爵家 小浜藩主

東京本邸 豊多摩郡大久保字西大久保 (現:淀橋区西大久保) 


◆酒井忠道
1851-1920 嘉永04-大正09 69歳没
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■前妻 敦賀藩主酒井忠毗の娘 佳子
1852-1892 嘉永05-明治25 40歳没


■後妻 宗重正伯爵の娘 績子
1870-1926 明治03-大正15 56歳没
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●生母不明 忠純
●愛人の子 鶴子  二条正麿男爵夫人
●愛人の子 武雄  次代当主酒井忠克となる
●愛人の子 晴雄  法学者富井政章の娘澄子と結婚
●愛人の子 四郎  
●愛人の子 五郎  伊達邦宗伯爵の娘昭子と結婚
●生母不明 寿賀子 山階芳麿侯爵夫人
●生母不明 喜和子


左 寿賀子   右 喜和子
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●晴雄  法学者富井政章の娘澄子と結婚
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●四郎
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●五郎  伊達邦宗伯爵の娘昭子と結婚
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●寿賀子 山階芳麿侯爵夫人
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萬朝報 明治31年09月25日

伯爵酒井忠道はかつて牛込区市ヶ谷柳町坂巻久次郎の娘カツを妾とし庶子鶴子を挙げたるが、
その後四谷区南寺町山村富五郎の娘フク(35)を妾とし庶子武雄ほか三人の男児を挙ぐ。

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◆酒井忠克
1883-1939 明治16-昭和14 56歳没
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■妻 万里小路通房伯爵の娘 喜美子
1889-1927 明治22-昭和02 38歳没
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●三枝子 西四辻公利子爵夫人
●忠博  次代当主
●小枝子 岩崎友四郎夫人
●香枝子 高松松平頼明伯爵夫人
●寿枝子 住友元夫夫人
●忠武  酒井忠武子爵となる


左から 三枝子 喜和子 忠博 小枝子 喜美子夫人 不明 寿賀子
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●香枝子 高松松平頼明伯爵夫人
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◆酒井忠博
1911-1978 明治44-昭和53 67歳没


■妻 尚昌二の娘 清子
1921- 大正10-


●純
●忠和
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by oMUGIo | 2004-05-17 00:00 | 武家華族

織田子爵家 柳本藩主

◆織田信陽
1795-1857 寛政07-安政04 62歳没





◆織田信成
1843-1898 天保14-明治31 55歳没





◆織田信及
1843-1889 天保14-明治22 46歳没
先代信成の弟


■妻 小泉藩主片桐貞信の娘 謙子
1848-1914 嘉永01-大正03 66歳没


●秀実 次代当主
●長邦 安西リキと結婚
●綱子 片桐貞央夫人





◆織田秀実
1875-1907 明治08-明治40 32歳没


■妻 久邇宮朝彦親王の娘 純子女王
1884-1911 明治17-明治44 27歳没
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●信一 次代当主
●長利 次々代当主
●信定
●豊子 大原次郎夫人





◆織田信一
1902-1909 明治35-明治42 7歳没





◆織田長利
1904-1961 明治37-昭和36 57歳没
先代信一の弟


■妻 鍋島直和子爵の娘 絢子



●長功
●イソコ
●美保子
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by oMUGIo | 2004-05-16 00:00 | 武家華族

立花子爵家 下手渡藩主

◆立花種恭
1849-1905 嘉永02-明治38 56歳没
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■妻 田辺藩主牧野誠成の娘 辰子
1847-1923 弘化04-大正12 76歳没


●敬子 渡辺寛綱子爵夫人
●種政 
●種忠 次代当主





◆立花種忠
1880- 明治13-
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■妻 立花寛治伯爵の娘 理子
1880- 明治13-
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●種勝  次代当主
●忠夷
●恵美子
●忠輝
●忠保
●忠明
●忠承





◆立花種勝
1905- 明治38-


■妻 北白川成久王の娘 美年子女王
1911-1970 明治44-昭和45 59歳没

*蜂須賀正氏侯爵と婚約していたが、破談となった。
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●美和子
●種則
●勝秀
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by oMUGIo | 2004-05-15 00:00 | 武家華族

前田子爵家 大聖寺藩主

◆前田利鬯
1841-1920
もと金沢藩主前田斉泰の子
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■前妻 飫肥藩主伊東祐相の娘 久子


■後妻 富山藩主前田利保 祉子
1846-1918
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●隆子 稲葉正縄子爵夫人
●亀子 婿養子を迎え次代当主とする


●隆子 稲葉正縄子爵夫人
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◆前田利彭
1883-1945
もと七日市藩知事前田利昭の子 婿養子になる


■妻 先代利鬯の娘 亀子
1878-1949


●利満 次代当主
●文子 今枝外二夫人


●文子 今枝外二夫人
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◆前田利満
1905-
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<前田利満の廃嫡>

前田利満は学習院中学時代から奔放になり、留学の名目でアメリカに送られてしまう。
エキセーター高校・ハノーバー大学を卒業して帰国したが日本の生活が性に合わず、
すぐにメキシコに渡ってしまう。
メキシコでは農産物のブローカーをして、
現地の女性エスペランとの間にヨルダとノルマという二人の娘をもうけた。

これを知った前田家は驚き、日本へ帰国させる。
親族会議で外国人女性との結婚は認められず、隠居に追い込まれる。
前田家では本家前田利為侯爵の子利弘を迎え子爵を継がせた。
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◆前田利弘
1929-
もと前田利為侯爵の子


■妻 鈴木荘一の娘 三和子
1928-


●肇
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by oMUGIo | 2004-05-14 00:00 | 武家華族

黒田子爵家 秋月藩主

◆黒田長徳●子供ナシ
1847-1892


■前妻 高鍋藩主秋月種殷の娘


■後妻 新政信の娘 鈬子
1857-1935





◆黒田長敬
1885-1963
もと福岡藩主黒田長知の子

*米コーネル大学に留学
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■妻 小出英尚子爵の娘 恵子
1896-1979 


左から 長敬 長栄 恵子夫人
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●礼子  尾張系徳川義恕男爵の子徳川義忠夫人
●康子 実業家大木九兵衛夫人
●長栄 次代当主
●長美 


左から 長敬 康子 長栄 恵子夫人 礼子 長美
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◆黒田長栄
1923-

*米コーネル大学に留学

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コーネル大学にて
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■妻 植村琢の娘 まりこ


●晴美
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by oMUGIo | 2004-05-13 00:00 | 武家華族

榊原子爵家 高田藩主

◆榊原政敬
1843-1927 84歳没
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■前妻 丸岡藩主有馬温純の娘 久仁子 離婚


■後妻 金沢藩主前田慶寧の娘 礼子
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★側室 長瀬庸
-昭和31 78歳没
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●生母不明 延子
●生母不明 重子 伊藤忠寿夫人
●後妻の子 彜子 次代当主の前妻
●庸の子  鑒子 次代当主の後妻


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孫政春の妻 榊原喜佐子 徳川慶久公爵令嬢

長瀬庸は正室礼子に付いて前田家から来た侍女だったが、
礼子が大変身体が弱かったため祖父の御手が付いて政和の後妻鑑子を産んだのだ。
当時側室はあくまでも御女中と見なされたが、
後に御子達の世話をすることになって【おばあ様】と呼ばれるようになったのだという。

長瀬は派手好きで目端のきく人だった。だから祖父に気に入られたのであろう。
弟達も、ことに幼かった末の弟二人は母親同然に慕っていた。そして私はと言えば、
そういう家族の間で長い間家を守りながら兄弟が仲良く暮らしていくにはどうすれば良いか、
絶えず神経をすり減らしてきたように思う。
嫁いで2年目、夫が出征中の事だった。
私は家の相談役で日本金属工業社長だった田沼義三郎氏を会社に訪ねた。
すると氏はいきなり立ち上がり、改まった口調でこう切り出した。
「奥様にお詫び申し上げねばならない事があります。5人の御子達のお世話をしてもらうのだから、
長瀬を【おばあ様】と呼んではどうかと勧めたのは自分です。いや、大失敗でした
と深々と頭を下げたのだ。

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◆榊原政和
1868-1927 59歳没
もと榊原職政の子 婿養子になる
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■前妻 先代の娘 彜子
1875-1906 31歳没


■後妻 先代の娘 鑒子 前妻の妹
1892-1926 34歳没
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●前妻の子 政職 早逝
●後妻の子 政春 次代当主
●後妻の子 政徳
●後妻の子 政道
●後妻の子 政行
●後妻の子 政美
●後妻の子 政明


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政春の妻 榊原喜佐子 徳川慶久公爵令嬢

榊原家は本来7人兄弟だった。そのうち兄政職は23歳で末の弟政明は3歳で亡くなり、
私が嫁いだ時には夫の下に政徳・政道・政行・政美と4人の弟達がいた。
私と夫は10歳の歳の差があったから、いずれも私より年長だった。

政徳は九州帝大を卒業、勤めていた満州重工から召集。
学習院時代には野球部に在籍し、東急の五島昇氏とともに投手捕手のコンビを組んでいたという。
夫はこの弟の事を【徳さん、徳さん】と呼んでいた。
他の弟は【ちゃん】付けだったから、彼には一目置いていたのであろう。
ただしその【徳さん】は早くから榊原家の事から逃げて、
とかく自己本位に楽しんで生きる調子のいい人だった。
酒好きがこうじて3回も脳出血を起し、妻に先立たれてボケがひどくなった。
今は老人ホームで『ヤンシューかもめ』を歌うのが楽しみだという。

政道は学習院から九州帝大を卒業、日本鋼管に入社した。
どこかひ弱な感じがあった。兄弟中で一番優しかったように思う。
長瀬の対応にとまどっている私に、
「そう大事にしなくていいんだよ」と声をかけてくれたのも彼だった。
昭和19年に召集が来て、戦後になってフィリピン諸島で戦死との報があった。26歳だった。

政行は学習院から九州帝大を卒業、三井造船に就職したがほどなく召集、
復員後は私達とともに暮らしながら再び三井造船に勤めた。
ところがその後労働争議がきっかけで会社を辞め、以後まったく働かなくなった。
それからおよそ13年、競馬に打ち込むなどすさんだ暮しを続ける。
彼は性格が強く、どこか夫と似ていたと思う。だから逆に反発もあったのだろうか。
長く暗いトンネルを抜け出て妻とともに始めた会社を軌道に乗せていたが、食道ガンに襲われた。
13年の遅れを取り戻そうとしたのだろうか、
医者にも行かずひたすら仕事に熱中し手遅れとなり69歳で亡くなった。

政美は身体が弱く学習院を出た後園芸学校に入学したというが、
私が来た頃は獣医学校に通っていた。
卒業後どうしても人間の医師になりたいと熊本医科大学を受験、みごと合格して医者となった。
アリナミンを開発し世に出した。しかし新築したばかりに二階の階段から落ちて脊椎を損傷、
頑張り屋の彼はリハビリに励んだ結果両手だけは動かせるようになり、
81歳の現在もなお内科医師として診察を続けている。

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◆榊原政春
1911-
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■妻 徳川慶久公爵の娘 喜佐子 高松宮喜久子妃の妹
1921-2013 92歳没
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●光子
●政信
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by oMUGIo | 2004-05-12 00:00 | 武家華族

戸田伯爵家 大垣藩主

東京本邸 牛込区若松町 (現:新宿区若松町)
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◆戸田氏共
1854-1936 嘉永07-昭和11 81歳没
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■妻 岩倉具視公爵の娘 極子
1857- 安政04-
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●実子 孝子 細川護成侯爵夫人
●実子 米子 次代当主の前妻
●実子 幸子 松平直平子爵の後妻
●庶子 富子 次代当主の後妻


●孝子 細川護成侯爵夫人
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◆戸田氏秀
1882-1924 明治15-大正13 42歳没
もと高崎藩主大河内輝声の子 婿養子になる
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■前妻 先代の娘 米子 死別
1879-1916 明治12-大正05 37歳没
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■後妻 先代の娘 富子 前妻の異母妹
1902- 明治35-


●前妻の子 愛子 池田政鋹子爵の後妻
●前妻の子 元子 徳川達成伯爵夫人
●前妻の子 氏忠 次代当主
●後妻の子 光子
●後妻の子 章子
●後妻の子 氏直 次々代当主
●後妻の子 氏泰


立つ左より 極子夫人 前妻米子夫人 氏秀 孝子 氏共 細川護成侯爵 幸子 松平直平子爵
座る左より 氏寛 後妻富子夫人 元子 秀子 氏秀
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●元子&徳川達成伯爵
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by oMUGIo | 2004-05-11 00:00 | 武家華族


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