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瀧脇子爵家 小島藩主

◆滝脇信広
1865-1913
もと伊達宗城伯爵の子


■前妻 遠江相良藩主田沼意尊の娘 智恵 離婚
1867-


■後妻 宮崎利央の娘 鏞子
1870-1941


●信鑰
●基子 金光文孝夫人





◆滝脇信鑰
1893-





◆滝脇宏光
1888-1964
もと古市公威男爵の子


■前妻 実業家田口義三郎の娘 久子 自殺
1896-1934


■後妻 越石権三郎の娘 アキ
1904-1973


●前妻の子 芳子
●前妻の子 光子  南平次夫人
●前妻の子 タキ  野崎道朗夫人
●前妻の子 ヒロコ 鍵谷武雄夫人





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<滝脇宏光による妻殺害疑惑>

当主として養子になった滝脇宏光は官僚出身の実業家であったが、相当借金を抱えていた。
昭和09年09月05日、宏光は家庭不和を理由に宮内省に離婚願いを提出する。
10日後、妻久子がカルモチン自殺で死亡、
宏光は自殺の事実を伏せて心臓麻痺という診断書を書いてもらう。

しかし久子の父田口義三郎がこれに不審を抱き、娘の死因の究明を宮内省に願い出る。
そのあいだ宏光は借金返済の件で訴えられる。
宮内省は離婚問題以外にも宏光の良からぬ噂をつかんでいたが結局証明できず、
すべてはうやむやになった。

宏光はその後再婚する。
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by oMUGIo | 2004-06-20 00:00 | 武家華族

宗伯爵家 対馬藩主

◆宗義和
1818-1890


■妻 広島藩主浅野斉賢の娘 嘉代
1822-1890


●重正 次代当主
●和徳 原和徳となる
●和豊 井上和豊となる
●和志 久留里藩主黒田直和の娘鏻子の婿養子になり黒田和志子爵となる
●植子 亀山藩主松平信正の後妻
●和一 佐賀和一となる
●定  仁位定となる
●和子 九条道孝公爵夫人
●和東 杉村和東となる
●宝子 公家難波宗礼の後妻





◆宗重正
1847-1902


■妻 蓮池藩主鍋島直与の娘 綱子
1851-1891 


●重望 次代当主
●全子 松平武修子爵の前妻
●績子 酒井忠道伯爵の後妻
●正誼 氏家正誼となる





◆宗重望●子供ナシ
1867-1923
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■妻 松園尚嘉男爵の娘 尚子
1873-1923 
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◆宗武志
1908-1985
もと黒田和志子爵の子
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■前妻 大韓帝国初代皇帝高宗の娘 李徳恵 李垠王の妹 離婚
1912-1989
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韓国にて   左 義姉方子   右 徳恵
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■後妻 勝村繁の娘 欣永
1931-


●前妻の子 正恵 行方不明のまま死亡認定
●後妻の子 立人
●後妻の子 和木
●後妻の子 中正


●正恵 

*23歳の時に大学時代に知り合った26歳の中学の英語教師の男性と恋愛結婚したが、
翌年遺書を残して失踪、生死不明のまま死亡と認定された。
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徳恵の義姉 李方子 梨本宮守正王の娘/李垠王妃

夏休みには私が付き添って伊香保に避暑されていましたが、
秋になって学校が始まっても、行きたくないと終日床につかれて食事にも出ようとされません。
夜は強度の不眠症で、時には突然外に飛び出され、
驚いてお探しすると裏門から赤坂見附の方へ歩いておられたりということもあったので、
ただごとではないと精神科の先生に来診をお願いし、
看護婦もお付きして当分は大磯の別荘で静養されることになりました。

もともと内気な方だったとはいえ、私などには明るく希望に満ちたお話しぶりで、
将来は学校の先生になって、と ご利発なお言葉を頼もしく伺っていたのに、
今は鬱々として床についておられるばかりなのです。
「早く元気におなり遊ばして・・・」
とベッドの枕辺にひざまづいて幾度となく涙を流してお話ししましたが、
受け答えもなく、ついに早発性痴呆症と診断されました

ところが昭和06年を迎えて徳恵様はだいぶ落ち着かれ、
お食事も進んでお話しも少しは調子良く話されるようになったため、
宗伯爵との御縁談も順調に進んで05月08日には御結婚式が挙げられることになりました。

この日の早いことを誰よりも望んでいた殿下〔李垠王〕と私であったとはいえ、
また小康を得られたとはいいながら白い洋装のお姿が何かしらおいたわしい思いがして、
そっと涙をぬぐったことでした。
再発への心配と、朝鮮の血を無理矢理日本の血の中へ同化させてしまおうとする
当局の意図への反発も、秘かに感じていた私でした。


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宗武志の教育係であった平山為太郎の日記 昭和06年11月03日

午前10時、伯爵〔宗武志〕に伺候し、古森氏・斎藤家令・伯爵と4人、
絵画の談および蘭の培養等につき長時間談話をなす。
その時に徳恵夫人も突然来席あり。
挨拶を述べしも、一言の言葉なく答礼ありしのみ。
そして絶えず声を出して失笑せらるること数次、真に病的の挙動なり
伯爵の御胸中 果たして如何、嘆息の至りなり。
 

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昭和13年から昭和15年まで宗伯爵家に勤めた中村国枝の証言

*対馬の小学校時代、宗武志の担任を務めた米田隆太の娘
その縁で女学校卒業後、上京して宗伯爵家に勤める

私は正恵さんのお勉強やお遊びのお相手をするのが第一の仕事で、
他にお掃除や縫い物などもいたしました。
正恵さんは当時小学校の1年ぐらいでしたが、細くて弱い体のお子さんで、
御養生のために湯河原の温泉へお供したこともあります。
学習院の送り迎えにもお供いたしました。
父兄会に私が代理で出席したこともありました。

当時の宗家には十数人の人が働いていたでしょうか。
私達は御当主を【伯爵様】とお呼びし、徳恵様のことを【御前様】とお呼びしていました。
伯爵様は週に何回かは千葉の方へ講義にお出かけで、遠いので夜遅くなられることもありました。
広い洋間の書斎があって、よく書き物などをしておられました。
伯爵様がお風呂に入って大きなお声で『この道』を歌っておられたのを覚えています。
とてもいいお声でした。
一度、伯爵様とピンポンをしたことがありましたが、あれは応接間だったかしら・・・。

徳恵様のお世話はミヨさんと和田さんの二人が主にしていました。
お召し物は洋服のことも和服のこともありました。
具合の良くない時、御寝巻にガウンをかえけたお姿も多かったようです。
お身体の華奢な、手も本当にほっそりとしてきれいな方でした。
時々2階から、誰も相手がいないのに笑う声が聞こえることもありました
時たま2階から正恵さんの部屋に降りてきて、椅子にじっと座っていらっしゃることもありました。
そんな時 何もおっしゃらないのですが、
お名前をお尋ねすると漢字で「徳恵」とお書きになります。
「お子様は何とおっしゃいますか」と聞くと「正恵」とお書きになりました。

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1908年 明治41
宗武志 誕生


1912年 大正01
徳恵 誕生


1919年 大正08 徳恵07歳
徳恵 父死去


1925年 大正14 徳恵13歳 
徳恵 来日


1929年 昭和04 徳恵17歳  
徳恵 母死去


1930年 昭和05 武志22歳 徳恵18歳 
李垠・方子・徳恵 完成した李王家新邸へ転居 
「早発性痴呆症」と診断される
武志と徳恵 初対面


1931年 昭和06 武志23歳 徳恵19歳 
武志と徳恵 結婚


1932年 昭和07 武志24歳 徳恵20歳 
正恵 誕生


1946年 昭和21 武志38歳 徳恵34歳 正恵14 
徳恵 入院


1955年 昭和30 武志47歳 徳恵43歳 正恵23歳 
正恵 結婚
武志と徳恵 離婚
武志 再婚


1956年 昭和31 武志48歳 徳恵43歳 正恵24歳 
正恵 失踪、生死不明のまま死亡認定


1962年 昭和37 武志54歳 徳恵50歳 
徳恵 帰国


1985年 昭和60 武志 死去 77歳


1989年 平成01 徳恵 死去 76歳

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by oMUGIo | 2004-06-19 00:00 | 武家華族

真田伯爵家 松代藩主

東京本邸 麻布区材木町 (現:港区六本木)


◆真田幸教
1836-1869


■妻 高松藩主松平頼恕の娘 晴子
1835-1915 


●政子 石川成徳子爵夫人
●与志 本多忠敬子爵夫人
●幸世 真田幸世男爵となる 阿部正恒子爵の娘綾子と結婚


●政子 石川成徳子爵夫人
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●与志 本多忠敬子爵夫人
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●幸世 真田幸世男爵となる 阿部正恒子爵の娘綾子と結婚
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◆真田幸民
1850-1903 嘉永03-明治36 53歳没
もと宇和島藩主伊達宗城の子

*アメリカ・ヨーロッパを外遊
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■最初の妻 大村藩主大村純煕の娘 隆子
-1884  -明治17


■2番目の妻 飫肥藩主伊東祐相の娘 宏子
1864-1899 元治01-明治32 35歳没


■3番目の妻 竹内治則子爵の娘 輯子
1864-1828 元治01-昭和03 36歳没
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●幸正  次代当主
●松子  島津忠麿伯爵夫人
●幸久
●田鶴子 大村純英伯爵夫人
●信子  藤堂高紹伯爵夫人
●幸保  清棲幸保伯爵となる 伏見宮博恭王の娘敦子女王と死別・ダンスホールのダンサーと再婚


●松子  島津忠麿伯爵夫人
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●信子 藤堂高紹伯爵夫人
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●幸保 清棲幸保伯爵となる 伏見宮博恭王の娘敦子女王と死別・キャバレーのダンサーと再婚

幸保&前妻敦子女王
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◆真田幸正
1876-1917 明治09-大正06 41歳没
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■妻 松平頼英子爵の娘 澄子
1880- 明治13-
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●幸治 次代当主
●幸尚 上杉隆憲伯爵の娘敬子と結婚





◆真田幸治
1901-1977 明治34-昭和52 76歳没


■妻 相良頼綱子爵の娘 嶋子
1906- 明治39-


●幸長 次代当主





◆真田幸長
1929-1984 昭和04-昭和59 55歳没


■妻 森野森吉の娘 恵美子


●治子
●富美子
●幸俊
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by oMUGIo | 2004-06-18 00:00 | 武家華族

池田源子爵家 鹿奴藩主

◆池田源
1846-1903 弘化03-明治36 57歳没
もと池田栗の子


■妻 元当主仲律の娘 銓子 イトコ結婚
1840-1885 天保11-明治18 45歳没


●仲誠 次代当主 
●鉄子 戸田忠庸子爵夫人
●民子 松平直冨伯爵夫人
●辰子 島津健之助男爵夫人
●益男 津軽益男となる 津軽ハマコと結婚


●民子 松平直冨伯爵夫人
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●辰子 島津健之助男爵夫人
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◆池田仲誠
1882-1972 明治15-昭和47 90歳没


■妻 前橋藩知事松平直方の娘 妙子
1890-1975 明治23-昭和50 85歳没


●良子
●寿栄子
●仲恵
●仲明
●仲親
●誠子
●和子
●仲貴
●弘子
●仲滋
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by oMUGIo | 2004-06-17 00:00 | 武家華族

鍋島子爵家 鹿島藩主

◆鍋島直彬
1844-1915 71歳没
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■妻 蓮池藩主鍋島直与の娘 藹子
1843-1930 87歳没


●神代子 諫早家崇男爵夫人


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鍋島直彬の孫 鍋島直紹子爵

私の祖母は昭和のはじめに88歳で亡くなった。
今思えば大名の娘最後の人という感じでならない。
祖母の一日は隠居部屋に端座し、
編み物か佐賀錦の手芸品を作っているか歌を案じているかであった。
どんなお客が親父の所にあっても、自分のお客でない限り部屋から出てこなかった。
夕方になるとちょっと女中さんをお供に散歩し、ただ黙々と歩きまわって帰ってきた。
夜は電気の下で虫眼鏡で静かに新聞か雑誌を読んでいる事が多かった。
このような日課が決して崩れることなく、毎日続けられていたように思う。
紋付を着ている日は御先祖様の御命日か、
重陽の節句とか雛祭りとか女に関係のある日なのであった。

祖母は私達に甘かった。お菓子などくれて「誰にも言わんどき」とよく言った。
父も母も東京に住んで郷里には祖母一人が例のような日課を繰り返していた頃、
私一人夏休みで帰省した。大きな台風が通過した時で、私の家は大変な荒れようだった。
川の水嵩は急激に増して、
堤防を越えてあふれ出たのは滝のようになって家の床下に流れ込んできた。
祖母はいつものように端然と座して、障子の破れ穴から外の竹藪を眺めていた。
「私は17歳でこの家にお嫁に来て、
その間いろいろの事があったけど今日までお陰様で何不自由なく生きてきた。
私にはこの隠居所がただ一つの死に場所なんだよ」というような事を言って私の膝に手をかけて、
「危なくなったら、お逃げ」と言ったのを台風が来ると私は必ず思い出すのである。
祖母はその年の暮れ、眠るように亡くなった。

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◆鍋島直縄
1892-1939 47歳没
もと鍋島直大侯爵の子

*ヨーロッパに留学


■妻 毛利元功子爵の娘 政子
1895-1988 93歳没

直縄&政子夫妻 直紹&則子夫妻
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●直紹 次代当主
●直定 鍋島直正男爵となる
●直美
●直玄
●松子 太田資業子爵の子太田資博夫人
●直立





◆鍋島直紹
1912-1981 69歳没
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■妻 佐竹義春侯爵の娘 則子
1916-
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●直建
●広子
●和茂
 
 
 
 
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by oMUGIo | 2004-06-16 00:00 | 武家華族

堀田子爵家 宮川藩主

◆堀田正養 最後の藩主
1848-1911
もと亀田藩主岩城隆喜の子 駒之助 婿養子になる


■妻 先代正誠の娘 銀子
 -1882 


●錫子 婿養子を迎え次代当主とする
●善子 五島盛光子爵夫人





◆堀田正亨
1868-1941
丹南藩主高木正坦の子 婿養子になる

*文書偽造で罰金刑を受ける。


■妻 先代正養の娘 錫子
1872-1951 


●義正
●影子
●二三子





◆堀田義正
1900-1982


■妻 新田友三郎の娘 敏子
1909-


●憲子
●知子
●正和
●弘美
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by oMUGIo | 2004-06-15 00:00 | 武家華族

有馬子爵家 吹上藩主

◆有馬氏弘 最後の藩主●子供ナシ
1850-


■前妻 本堂親久男爵の娘 釟子 離婚
1857- 


■後妻 岩村藩主松平乗喬の娘 敏子 結婚3回
1852- 

*有馬氏弘と結婚→上杉茂憲伯爵と再婚離婚→井上佐平次と再々婚





◆有馬頼之
1870-1917
もと久留米藩主有馬頼咸の子


■妻 丸亀藩主京極朗徹の娘 藤子
1871-1943


●聡頼 次代当主
●宗嗣
●宗英 慈光寺宗英となる
●雪子 綾小路護子爵夫人


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年02月09日

有馬伯爵家家令橋爪慎吾の台詞

「聡頼の弟にて慈光寺の養子になりおる者〔宗英〕不行跡につき
有馬頼寧伯爵より説諭することを話しおきたるところ、
自分が不行跡につき心苦しと言いおりたる」

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◆有馬聡頼
1894-1976


■前妻 実業家東松松兵衛の娘 勝子
1900-


■後妻 明畠村吉の娘 イトコ
1906-1989


●愛人の子 芳治 除籍
●前妻の子 賢子
●前妻の子 慶子


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年02月29日

藤子夫人の台詞

「息子聡頼は昨年暮までは非常に品行よろしかりしところ、
今年01月頃より外泊多くほとんど自家にて晩食を喫することなき有様なり。
やはり芸妓に関係し負債も既に出来しおり
あるいは先年関係したる玉突屋の女に再び関係したるやにあらざるやと思い
少しく取り調べてみたれども、その方にはあらざる模様なり」


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倉富日記 大正09年02月03日

倉富&有馬伯爵家職員有馬秀雄の会話 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

倉富◆聡頼が近頃不品行なる話を聞きたり。
有馬◆聡頼の相手が先年の婦人ならば困ると思いたるも、
左にあらざる模様につき自分に責任なし。
倉富◆左様なる訳には行かざるべし。とにかく困りたる人なり


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倉富日記 大正09年03月04日

倉富&有馬秀雄の会話

倉富◆聡頼の愛人はやはり先年関係したる人なる趣にあらずや。
有馬◆左様なり。
倉富◆如何にして左のごとく思うや。
有馬◆先年の情婦か芸妓かをなしおる葺町につき本人が気づかざる様にして内偵したるところ、
27,8の有馬という人が時々遊びに来ると言い、
その年齢といい氏といい他に左様の人ある訳なし。聡頼に相違なしと思わる。
母藤子夫人の話に「聡頼は03月01日より昨日まで一度も自宅に帰らざりし」由。
ただしあまり厳しき事をなしまた先年のごとき事(情死未遂)をなしては困るにつき、
その辺の斟酌は必要なるべし。
倉富◆実に困りたる事なり。


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有馬頼寧伯爵の日記 大正09年03月08日

聡頼さんが相場で失敗して、しかも女ができたため近頃はまるで家に帰られぬので、
先日から橋爪と心配しているけれどなかなか分明せぬ。
無理をすればまたこの前の様な事になる。
なんとかあまり大きくならぬ様に始末したいものである。


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倉富日記 大正09年04月27日

倉富&有馬伯爵家職員橋爪慎吾の会話

橋爪◆聡頼は新橋の芸者を廃業せしめ代々木に住居せしめおり。
家に帰らず金銭の出入りも話さざる末、4千余円を費したる計算書を出したり
倉富◆予は聡頼を保護する必要なかるべしと思う。


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倉富日記 大正09年06月07日

有馬頼寧伯爵の言葉

聡頼が橋爪に話したる所と芸妓が橋爪に話したる所とはよほど異りおり。
芸妓の方は間もなく聡頼の妻となるつもりに考えおる由なり。
本家より援助を受けおりながら妾宅を構えさせ
虚言をもって糊塗する様な事にては致し方なきゆえ、
処置する旨を本人に話したらばよろしからんと思う。
聡頼は子爵を辞むる事を決心し芸妓と結婚するならばそれにてよろし。
子爵家には弟宗嗣もあるゆえ、それにてよろしからんと思う。


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倉富日記 大正09年07月08日

橋爪慎吾の台詞

聡頼が妾となしおる者は新橋の芸妓ということなりしが、
人を横浜に遣わし探索せしめたるところ、吉原にて娼妓をなしおりたる者なる由。
聡頼はいよいよ乱妄となり、母に対し妾を本邸に入るる事を請求し、
自分に対しては「華族を辞めて自由生活を営むことを望む」と言えり。


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倉富日記 大正09年09月05日

倉富&有馬頼寧伯爵の会話

頼寧◆自分の考えにては子爵家を立つるならば婦人と手を切らざるべからず。
婦人と手を切ることができざるならば子爵を辞むるより他なし
子爵たる人が娼妓を妻とするということはできず。
先年の情婦はこれを夫人としてもよろしと思いたれども、
この節の者はどうしてもその様の訳にいかず。
左様の事より醜状を暴露する様の事となりては困る。
倉富◆聡頼の事につきては予はもはや考えなし。
先年かのごとき事をなして、またまたこの節のごときある様にては何とも致し方なし。
一種の病と言うより他なけれども、数年間謹慎できたる所にては必ずしも病気とも言えず。
ともかく困りたることなり。


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倉富日記 大正09年09月29日

倉富&橋爪慎吾&有馬伯爵家相談役境豊吉の会話

境◆聡頼は「今の妾は品性下等にて長く同居する考えなく暇を遣わす考えなるも、
今すぐには暇を遣わす事は不可なり」と言い、
また「自分は他の干渉を受ける事を好まず。親族間の交際・仕事仲間の交際もこれを好まず」
と言いたるにつき、懇にその不心得を諭したるもその効なし。
やむを得ずなお肯かざれば有馬家よりの補助も断然止めることにすべしとの内儀をなしたるも、
かえって反抗の態度を取るようになり
倉富◆聡頼の事については初めより断念しおれり。
聡頼は先年生命までも捨てる決心をなし、その後資産に不相応なる金を損うて縁を絶ち、
それにも関わらずさらにこの節のごとき事をなす以上は到底悔悟の見込みなきものと思いおれり。
よりて適当の手段あれば聡頼の戸主を廃し、
その弟宗嗣をして子爵家を継がしめる方よろしと思えども、廃戸主の手段なし。
ゆえにそのまま放任するより致し方なし。
ただし本家より生計の補助を受けて左のごとき事をなすはいかにも不都合千万なるゆえ、
本家の補助だけは止めることに致したし。
橋爪◆補助を止めることは頼寧も希望しおられるも、
補助金は聡頼の母および妹雪子の生計費に充ててあるゆえ、
これを止めれば母妹の生計に差し支えを生ずる事となるゆえ補助を止めることもできがたし。


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倉富日記 大正10年10月16日

聡頼の母藤子と議を尽くし、もし頼寧より忠告しても聡頼が品行を改めざるならば、
本家より聡頼に対する補助金を止め、かつ聡頼が十五銀行に勤務する事につき
頼寧が保証人となりおる事も止むる事となすべき事に申し合せたり。

藤子夫人しいて予らを留む。洋食を供す。味美ならず。酒また悪し


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倉富日記 大正13年08月24日

有馬聡頼の台詞

本年06月頃より自分の結婚談始まりたり。
先方は名古屋の東松松兵衛と言い貯蓄銀行の頭取を勤めおり、
名古屋にては相当の地位ある人にて三女勝子が此節の縁談の者なり。
自分の事はもちろん家計ならびに自分の庶子芳治の事などまで
先方にて充分に調査したる上の話にて、
先方より3個の条件を提出し、自分の方よりは今日の状況条件など提出する訳にいかず。
先方の第1の条件は、母は別居しその生計費は自分方にて負担する事。
その理由は大名などにはそれぞれの家風あり。母は京極家より来りおる趣につき、
同居したる上にて嫁が家風に合わずと言う様なることになりては双方とも面白からざる故。
娘には持参金は遣さざるも夫婦の生計は東松家の方にて引き受くる事とすべく、
母の事まで引き受くる事は困る事につき、家計を整理して生計の立つ様にせられたしとの事。
第2は、弟宗嗣の費用は東松家の負担に属せざる様にしたしとの事なり。
これは既に今日にても自分より支弁せざる事を本人に申し聞けおり、
同人の事については東松家を煩わす事なき旨を言明しり。
第3は庶子芳治の事にて、今後夫婦間に子供できたる時は如何するやとの事なり。
これは法規の定むる所に従うと言い置きたり。
左の次第にて双方の意思まとまり先方より自分の身体検査を為し、
こちらにても嫁たるべき人の身体検査までも為し、
双方に身体の故障なきにつき今後談は進行する事となるべし。
自分これまで種々の失策を為し、このままにて経過すれば一新の時期もなく、
この談がまとまればこれを機会として心機を一転し、これまでの不信用を挽回するつもりなり。


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by oMUGIo | 2004-06-14 00:00 | 武家華族

仙石子爵家 出石藩主

◆仙石政固
もと出石藩系土岐政賢の子
1844-1917
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■妻 日出藩主木下俊敦の娘 峯子/善子
1848-1911


●光子
●政敬
●政恒  諏訪忠元子爵の娘千賀子の婿養子になり諏訪忠久となる
●政功
●政威 栄宣となる





◆仙石政敬
1872-1935
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■妻 久邇宮朝彦親王の娘 素子女王
1876-1918 
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●久英
●久博
●温子 九条道実公爵の養女となる形で出家、瑞光寺日浄となる
●鋭子 堀秀孝子爵夫人
●久茂
●久武 松平直亮伯爵の娘元子の婿養子になり松平久武となる
●夏子 梅溪通虎子爵夫人


立つ左から 久武 久博 鋭子 久茂
座る左から 温子 夏子 久英
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●温子 九条道実公爵の養女となる形で出家、瑞光寺日浄となる
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◆仙石久英
1895-1960


■妻 三条公美公爵の娘 喜美子
1899-
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●阿幾子
●政恭
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by oMUGIo | 2004-06-13 00:00 | 武家華族

松前子爵家 松前藩主

◆松前章広
1775-183 安永04-天保04 58歳没


■妻 公家花山院常雅の娘 敬子/知子
1776-1834


●実子 見広 次代当主
●庶子 崇広 後に当主





◆松前見広
1805-1927 22歳没


■妻 浜松藩主井上正甫の娘 友子


●昌広 次代当主





◆松前昌広
1825-1853 文政08-嘉永06 28歳没


■妻 神戸藩主本多忠升の娘 源子 相手死別・牛久藩主山口弘敞と再婚
1829-1890 


●徳広 次々代当主





◆松前崇広
1829-1866 文政12-慶応02 36歳没
元当主章広の子
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■妻 中村藩主相馬益胤の娘 維子
1852-1867


●武子 喜連川藩主喜連川縄と結婚・足利藩主戸田忠行の前妻
●隆広 松前隆広男爵となる
●邦子 清水谷公考と結婚・高梨鉄造と再婚
●増子 天童藩主織田信敏と結婚・井伊直安子爵の後妻


●隆広 松前隆広男爵となる
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●増子 天童藩主織田信敏と結婚・井伊直安子爵の後妻
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◆松前徳広
1844-1869 天保15-明治01 24歳没
先々代昌広の子
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■妻 岩村田藩主内藤正縄の娘 光子
1846-1869 弘化03-明治02 23歳没


●修広 次代当主


立つ 徳弘&光子夫妻
座る 崇広夫人と昌広夫人か
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◆松前修広 最後の藩主
1865-1905 慶応01-明治38 40歳没
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■前妻 飯山藩主本多助実の娘 藤子 離婚
明治02-
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■後妻 盛岡藩主南部利剛の娘 瑩子/貴子 相手死別・鍋島直虎子爵の後妻となる
1871-1936 明治04-昭和11 65歳没
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●勝広 次代当主
●亮広
●興広
●俊広 士族蠣崎俊広となる 





◆松前勝広
1869-1940 明治02-昭和15 71歳没
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■妻 大藪房次郎の娘 スカ
1893-1967 明治26-昭和42 74歳没


●正広
●之広
●喜久
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by oMUGIo | 2004-06-12 00:00 | 武家華族

佐竹侯爵家 久保田藩主

◆佐竹義睦●子供ナシ
1839-1857


■妻 高知藩主山内豊資の娘悦子
1840-1916
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◆佐竹義堯
1825-1884
もと中村藩主相馬益胤の子
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■最初の妻 久保田新田藩主佐竹義純の娘 多喜子
1827-1849 


■2番目の妻 久居藩主藤堂高聴の娘 増銘子 
-1859 


■3番目の妻 丹波篠山藩主青山忠良の娘 不明


●生母不明  雅子 佐竹義脩男爵夫人
●生母不明  鐶子 佐竹義理子爵夫人
●大塚氏の子 義生 次代当主 





◆佐竹義生
1867-1915
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■妻 徳大寺実則公爵の娘 作子
1872-1937 
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●義春 次代当主
●義行
●義通 佐竹義通子爵となる
●義勝 佐竹義勝子爵となる 秋元春朝子爵の娘英子と結婚
●義心
●涼子
●静子 伊藤次郎左衛門夫人
●義宏 松平忠正子爵の養子になり松平忠宏となる


●義行
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◆佐竹義春
1890-1944


■妻 九条道実公爵の娘 兼子
1894-1964 
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●実子   義栄
●実子   則子 鍋島直紹子爵夫人
●実子   照子 花山院親忠侯爵夫人
●生母不明 美子 鈴木崇夫人
●生母不明 亮子 川原良太夫人


●則子 鍋島直紹子爵夫人
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◆佐竹義栄
1914-1983


■妻 尾張徳川義親侯爵の娘 百合子
1917- 


●義忠
●朋子





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困窮した多くの華族家の財産整理を手助けした 尾張徳川義親侯爵の日記

*佐竹義春は徳川義親の財政立て直し案を受け入れなかった。

侯爵も夫人もこれほど馬鹿とは思わなかった
家の没落もまたやむを得ないことだろう。
華族はみなこうして没落してゆ。く/b>
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by oMUGIo | 2004-06-11 00:00 | 武家華族


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