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牧野子爵家 長岡藩主

◆牧野忠恭
1824-1878
もと西尾藩主松平乗寛の子


■妻 掛川藩主太田資始の娘 寿子


●正妻の子 彜子 婿養子を迎え次代当主とする
●正妻の子 総子 三根山藩主牧野忠泰の1/3番目の妻
●側室の子 忠毅 次々代当主
●側室の子 好子 本庄寿巨子爵の後妻
●側室の子 美子 牧野貞寧子爵夫人
●側室の子 忠篤 次々々代当主





◆牧野忠訓●子供ナシ
1844-1875
もと宮津藩主松平宗秀の子


■妻 先代忠恭の娘 彜子
1843-1923 





◆牧野忠毅
1859-1918
先々代の子


■前妻 荻野山中藩主 大久保教義の娘 鎮子


■後妻 小諸藩主牧野康哉の娘 清子 
三根山藩主牧野忠泰の2/3番目の妻離婚、牧野忠毅と再婚
1855- 


●忠治  次代当主牧野忠篤の娘艶子と結婚・イトコ結婚
●喜久子 乃木元智伯爵夫人





◆牧野忠篤
1870-1935
先代の弟


■最初の妻 板倉勝弼子爵の娘 益子
1878- 


■2番目の妻 鍋島直大侯爵の娘 茂子 九条良政男爵の前妻離婚、牧野忠篤と再婚死別
1885-1905 


■3番目の妻 藤堂高潔伯爵の娘 鋀子 常磐井堯猷男爵の2/3番目の妻離婚、牧野忠篤と再婚
1882-1963 


●益子の子 艶子 先代牧野忠毅の子忠治と結婚・イトコ結婚
●益子の子 忠康 





◆牧野忠永
1911-1976
もと松平乗統子爵の子


■妻 高倉永則子爵の娘 元子
1918-


●忠昌
●忠央
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by oMUGIo | 2004-07-14 00:00 | 武家華族

松平子爵家 浜田藩主

◆松平武聡 最後の藩主
1842-1882
もと水戸徳川斉昭の子


■妻 佐倉藩主堀田正睦の子 寿子
1847-1893 


●熊若丸 次代当主松平武修となる
●斐二郎
●鞆子  松平容大子爵夫人
●清子  伊達宗定子爵夫人
●恒吉
●藤子





◆松平武修
1865-1920


■前妻 宗重正伯爵の娘 全子
1869-1888


■後妻 松江藩主松平定安の娘 雅子
1870-


●武親 次代当主
●清修 竹腰清修となる
●鈴子
●吉修 次々代当主





◆松平武親
1892-1955


■妻 久世広業子爵の娘 敏子
1898-1920 


●久美子 花輪英孝夫人


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年04月13日

宮内官僚仙石政敬子爵の台詞

松平武親子爵、品行不正にして某電気会社の社長となり、商法違反の事もある模様なる趣、
その親族より話を聞きたるにつき警察に依頼して取り調べたる所この書面の通りなり。
松江の松平直亮伯爵はその親族なる趣にて、かねてその事につき心配しおる。


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倉富日記 大正10年04月14日

宮内官僚仙石政敬子爵の台詞

今日徳川圀順侯爵を召い松平武親の事を話したるに、
徳川も「かねてより懸念しおる事なるが、
今日の注意もありたる上はなおこれを戒むべし」と言えり。


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◆松平吉修●子供ナシ
1910-1977
先代武親の弟
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by oMUGIo | 2004-07-13 00:00 | 武家華族

京極子爵家 峰山藩主

◆京極高陳●子供ナシ
1839-


■妻 笹田久兵衛の娘 貞子





◆京極高致●子供ナシ
1869-1893
もと五辻安仲子爵の子


■妻





◆京極高頼
1885-1947
もと多度津藩京極高典子爵の子


■前妻 和田清治郎の娘 ヌイ
1896-


■後妻 医師杉村正謙の娘 津井
1890-1930


●後妻の子 典子 婿養子を迎え次代当主とする


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娘 京極典子

私の父高頼は、祖父がもうおじいさんになりかかった頃、
子供が生まれるとは思わなかったという年になって正室の子供として生まれたのです。
祖父は「せっかく生まれた本妻の子が部屋住みでは可哀想だ。
どこかに養子にやって当主にさせたい」と思ったようです。
それで養子先を探したら、丹後の峰山の京極にちょうど跡取りがなかったのです。

祖父母に猫かわいがりに可愛がられて、本当にもうしっかりしない父でしたね(笑)
もちろん何もしておりませんでした。お友達がお勤めになるのを、
「あいつは月給取りになったそうだ」なんて珍しそうに言ってました。
父は大変な趣味人で自分の思った通りに生きてきたので、
自分の好きな人がどうしても妻に欲しかったのでしょう。
私の母津井は華族ではありません。
母方の祖父は杉村正謙といって、戸山脳病院という病院をやっておりました。

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◆京極高鋭●子供ナシ
1900-1974
もと加藤照麿男爵の子 鋭五 婿養子になる 弟は喜劇俳優古川ロッパ


■妻 先代高頼の娘 典子
1915-


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典子夫人

父は方々のかたに「うちの婿に良い方があったならばお願いします」
とお願いしていたのでしょう。
私の主人にも「誰かお婿さんに良い人はいないか」と聞いたところ、
「私ではどうでしょうか」という事になったのです。
自己推薦というのは当時は珍しいのではないかと思います。
よくみなさん「あの話は有名だったなあ」とおっしゃいます(笑)

ロッパさんはとても良い人で面白い人でした。普段からああいう人でしたね。
主人と外見もちょっと似ていました。お見合いをした時も、
写真を見て「ロッパと同じ」と思いました(笑)
主人が銀座に参りますとロッパと間違える人がいて、
「サインをして下さい」と言ってくるのです。
主人は書いてあげたそうです。主人もとても面白い人なのです。

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◆京極高幸
1943-
もと豊岡藩京極高光子爵の子


■妻 太田資業子爵の子太田資博の娘 寛子
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by oMUGIo | 2004-07-12 00:00 | 武家華族

稲垣子爵家 鳥羽藩主

◆稲垣長明
1830-1866


■妻 高田藩主榊原政養の娘 万寿


●長行 次代当主
●長敬 次々代当主
●長完
●富三郎
●女子 鳥山藩主大久保忠順夫人
●女子 蒔田広孝夫人





◆稲垣長行●妻子ナシ
1851-1868





◆稲垣長敬
1854-1920
先代長行の弟
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■妻 神戸藩主本多忠寛の娘 文子


●女子 婿養子を迎え次代当主とする





◆稲垣長昌
もと中津藩主奥平昌服の子 婿養子になる


■妻 先代長敬の娘


●長賢
●銈子
●鍈子
●錠子
●鏻子
●重兼
●武子


左から 鏻子 鍈子 長賢 鏻子 銈子 錠子 手前は重兼     
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by oMUGIo | 2004-07-11 00:00 | 武家華族

安藤子爵家 磐城平藩主

◆安藤信正
1820-1871 文政02-明治04


■妻 宮津藩主松平宗発の娘


●信民 早逝
●信守 次々代当主
●鈺子 椎谷藩主堀之美夫人・多度津藩主京極高典夫人
●女子 岩村田藩主内藤正誠夫人・副田欣一夫人





◆安藤信勇
1849-1908 嘉永02-明治41
先代信正の甥/もと岩村田藩内藤正義の子
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■妻 三浦万邦の娘 登女子
1854-


●レン 内藤正愨子爵の2/3番目の妻
●長造





◆安藤信守
1865-1914
先々代信正の子


■妻 松村徳次郎の娘 テツコ
1867-


●信篤





◆安藤信篤
1892-1916 24歳没 
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◆安藤信昭
1890-1976 明治23-
もと有馬頼万伯爵の子 頼為
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■妻 閑院宮載仁親王の娘 恭子女王
1896-1992 明治29-


恭子女王の婚礼行列
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●信敬
●朋子
●信和 次代当主
●信暉
●祥子
●康子
●治子


●女子
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年03月01日

*倉富は有馬伯爵家の相談役を務めていた。

安藤信昭子爵の台詞

父有馬頼万伯爵よりの話に大礼服は有馬家より祝いとして贈るべきにつき、
供奉服は父より補助して作らしめ、小礼服は手元にて作る事とするつもりなるゆえ、
これを含みおきくれよ。


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有馬日記 大正10年03月02日

倉富から有馬伯爵家職員橋爪慎吾への言葉

安藤信昭が侍従補に任ぜられたるところ、
頼万の考えにて信昭の大礼服は有馬家より祝いとして贈りたし、
供奉服は伯爵の手元より補助せらるべき旨の話を信昭から聞きたり。
予の考えにては、大礼服を贈る以上は小礼服・供奉服も廉なるゆえ
全部を有馬家より贈らるる事と為す方よろしからんと思う。


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倉富日記 大正10年03月05日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆先日話ありたる信昭に服を贈る事は、有馬家より祝儀として
大礼服および宮内官小礼服を贈るべき旨を頼万に話したるところ頼万おおいに満足せられたり。
倉富◆その他供奉服の入用あり。供奉服は如何したりや。
橋爪◆頼万が「供奉服だけは自分で作る方よろし」と言われたる。
なお頼万より「信昭は服の他にも種々入用の品あるゆえ
有馬家より1000円ばかり立て替る事にいたしくれよ」との話あり。
倉富◆服代は幾らぐらいなりや。
橋爪◆大礼服・小礼服にて1100円ばかりなり。

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by oMUGIo | 2004-07-10 00:00 | 武家華族

大村伯爵家 大村藩主

東京本邸 麻布区市兵衛町 (現:港区六本木)
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◆大村純熈
1831-1882 文政13-明治15
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■妻 小泉藩主片桐貞信の娘 嘉庸子
1836-1897


●麗子
●隆子  真田幸民伯爵夫人
●憲子  婿養子を迎え次代当主とする
●知久子 秋月種繁と結婚・長岡護美子爵と再婚


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●女子
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◆大村純雄
1851-1934 嘉永04-昭和09
もと佐土原藩主島津忠寛の子 婿養子になる

*ハーバード大学に留学
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■妻 先代純熈の娘 憲子
安政06-明治17
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◆大村純英
1872-1933 明治05-昭和08
もと大村武純の子


■妻 真田幸民の娘 田鶴子
明治15-
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●純毅  次代当主
●喜代子 竹内惟斌子爵夫人
●照子
●近純
●光子
●千恵子





◆大村純毅
明治36-


■妻 会津松平保男子爵の娘 芳子
明治41-


●正子
●直子
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by oMUGIo | 2004-07-09 00:00 | 武家華族

内藤子爵家 高遠藩主

◆内藤頼直
1840-1879


■妻 宇都宮藩主戸田忠温の娘 安子
1845-1869 


●弥三郎 次代当主
●頼輔  次々代当主





◆内藤弥三郎●子供ナシ
1872-1931





◆内藤頼輔
1877-1944
先代の弟


■妻 高崎藩主大河内輝声の娘 桂子
1883-1954 


●要子 堤経長子爵夫人
●頼博 次代当主
●頼武 大森恭子と結婚
●和子 明石元長男爵夫人


●要子 堤経長子爵夫人
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◆内藤頼博
1908-


■妻 西郷従道侯爵の娘 董子
1913-


●園子
●頼誼
●慈子
●郁子
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by oMUGIo | 2004-07-08 00:00 | 武家華族

秋元子爵家 館林藩主

東京本邸 神田区駿河台北甲賀町 (現:千代田区神田駿河台)


◆秋元志朝
1820-1876 文政03-明治09 56歳没
もと徳山藩主毛利広鎮の子
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■前妻 米沢藩主上杉斉定の娘 良子
1827-1849 22歳没


■後妻 岡崎藩主本多忠考の娘 秀子
-1861


●銑次郎
●甚九郎
●孫三郎





◆秋元礼朝●子供ナシ
1848-1883 35歳没
もと掛川藩主太田資始の子
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■妻 宇都宮藩主戸田忠温の娘 操子
1847-1888 41歳没 





◆秋元興朝
1857-1917 安政04-大正06 60歳没
もと高徳藩主戸田忠至の子

*ヨーロッパに留学
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■前妻 盛岡藩主南部利剛の娘 宗子 死別
1866-1910 慶応02-明治43 44歳没
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■後妻 高知藩主山内容堂の娘 八重子 東伏見宮依仁親王妃と離婚・興朝と再婚
1869-1919 明治02-大正08 50歳没
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●光子 婿養子を迎え次代当主とする





◆秋元春朝
1881-1948 67歳没
もと毛利元功子爵の子 婿養子になる

*ドイツ・イギリスに留学
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■先代の娘 光子
1886-1930 44歳没
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●順朝 次代当主
●英子 佐竹義勝子爵と結婚・松浦義教と再婚
●道子 上野祝二夫人





◆秋元順朝
1905-1967 62歳没


■前妻 伊達宗曜男爵の娘 欽子
1913-1948 35歳没


■後妻 吉野大作の娘 弘子
1914-


●前妻の子 和朝
●前妻の子 泰子
●後妻の子 恒朝
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by oMUGIo | 2004-07-07 00:00 | 武家華族

保科子爵家 飯野藩主

◆保科正益
1833-1888


■妻 宇和島藩主伊達宗紀の娘 節子
1840-1905 


●寧子  財閥岩崎久弥男爵夫人
●建子  沢田鋓義夫人
●正昭  次代当主
●咸次郎 楠田咸次郎男爵となる
●尚子  佐野常羽伯爵夫人


●寧子  財閥岩崎久弥男爵夫人
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◆保科正昭
1883-1947
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■妻 北白川宮能久親王の娘 武子女王
1890-1977
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●光正


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武子女王は藤堂高紹伯爵と婚約していたが、
藤堂は留学中に密かにイギリス人女性と結婚しており、
帰国後その事実が発覚し、大問題となり破談となった。

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年10月26日

有馬頼寧伯爵の台詞 (頼寧の妻貞子は武子夫人の姉)

保科正昭、先年来朝鮮京城にあり。夫人武子は東京にあり。
先頃保科より、近々総督府の技師を辞して東京に帰る旨を通知し来り。
親族にても喜びおりたるところ、
聞くところによれば保科は京城にて妓女に通じ既に懐妊しおるとの事なり
よりて先日伯爵二荒芳徳〔妻拡子は武子夫人の妹〕と協議し、いかに処置すべきや談合の末
まず事実を確かめる必要を生じたるもみだりに問い合す事もできず。
君は京城に知人あるにつき君に依頼して取り調べもらう事に話し合いたるゆえ、
しかるべく問い合せてくれよ。

武子は初め藤堂高紹に嫁するつもりのところ藤堂が外国婦人の関係ありたるため破談となり、
藤堂との婚約まだ破れざる時、保科より貰い受ける様の話をなしたる事あり。
しかるに藤堂との婚約破れたるより、
北白川宮富子妃は一も二もなく保科に嫁せしむることに決したるが、保科はこの結婚を喜ばず
結婚後朝鮮へ行き既に7年になれり。
武子は病身にて朝鮮に行きがたく、今日のごとき事となりたる次第なり。

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◆保科光正
1914-1945
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■妻 徳川家正公爵の娘 順子 相手死別・関根勇吉と再婚
1919-


●正興
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by oMUGIo | 2004-07-06 00:00 | 武家華族

蜂須賀侯爵家 徳島藩主

東京本邸 芝区三田綱町 (現:港区三田) 土地5万坪 建物2000坪

高輪別邸

鉄砲洲別邸

洲崎浜町邸

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◆蜂須賀茂韶
1846-1918 弘化03-大正07 71歳没

*オックスフォード大学に留学・フランスに駐在
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■前妻 蜂須賀隆芳の娘 斐子 離婚


■後妻 水戸徳川慶篤の娘 随子
1854-1923 安政01-大正12 69歳没

イギリスにて 後妻随子夫人と
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茂韶には11人の側室がいたが、すべての側室を辞めさせることが随子側の結婚の条件であった。
しかし随子自身はかつて松平定教子爵(松平定敬とされるのは誤り)と婚約していたことを理由に
「二夫にまみえず」として茂韶とは寝所を共にせず、自分の侍女萩原京を側室にさせた。
毎週月・水・金は随子夫人の住む本邸に泊まり、
火・木・土・日は側室お京の住む高輪別邸に泊まったという。
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●庶子 正韶 次代当主





◆蜂須賀正韶
1871-1932 明治04-昭和07 61歳没

*ケンブリッジ大学に留学
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■妻 将軍徳川慶喜の娘 筆子
1876-1907 明治09-明治40 31歳没
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●年子  松平康春子爵と結婚離婚
●笛子  松田正之男爵夫人
●小枝子 佐竹義種子爵夫人
●正氏  次代当主


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蜂須賀正韶の娘 蜂須賀年子

私の父は人間嫌いというほどではなかったが、人に対する情は薄かった。
ことに、女嫌いであったことは事実である。
父は男女関係について全く幼稚だったような気がする。
8年も外国にいたくせに女性というものをほとんど知らない。
自分の妻にさえ、ある種の恐怖心を感じていたようだ。
新婚当時 女の扱い方を知らなかったため、夜の営みのことを考えると居ても立ってもいられず、
戸棚に隠れて一夜を過ごしたという話もある。

父はすべての動物に対しても、さしたる愛情を持っているとは見えなかった。
たぶん生まれつきなのであろうと思うほかはなかった。

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●年子 松平康春子爵と結婚離婚
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左から 正氏 小枝子 笛子 
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◆蜂須賀正氏
1903-1953 明治36-昭和28 50歳没

*イギリスに留学

*北白川美年子女王と婚約していたが、破談となった。
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■妻 日系アメリカ人 永峰智恵子
1909-1996 明治42年-平成08 87歳没


●正子
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by oMUGIo | 2004-07-05 00:00 | 武家華族


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