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西郷従道侯爵家 政治家 その2

●庶子 政子  役人楢原陳政夫人
●実子 従徳  次代当主
●実子 豊彦  篠原乙次郎の娘雪江と結婚
●実子 従義  上村従義男爵となる 山本権兵衛伯爵の娘ナミコと結婚 
●庶子 従親  士族渡部富次の娘紀見子と結婚
●庶子 豊二  高羽惣兵衛の娘登志子と結婚
●実子 従志  小松従志伯爵となる 山口圭蔵の娘千代子と結婚
●庶子 栄子  士族平岡良助夫人
●実子 桜子  岩倉具張公爵夫人
●庶子 不二子 古河虎之助男爵夫人


男性左から 豊二 従親 岩倉具張 豊彦 従徳 従義 従志
女性左から 桜子 豊彦の妻雪江子 政子 清子夫人 従徳の妻豊子 従義の妻波子 不二子
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●従義 上村従義男爵となる 山本権兵衛伯爵の娘ナミコと結婚
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●従志 小松従志伯爵となる 山口圭蔵の娘千代子と結婚
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●桜子 岩倉具張公爵夫人
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●不二子 古河虎之助男爵夫人
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by oMUGIo | 2005-01-10 00:00 | 勲功華族

西郷従道侯爵家 政治家 その1

東京本邸 荏原郡目黒村上目黒 (現:目黒区上目黒)
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渋谷区南平台町の土地は、かつて雑木林であった。
西郷従道はよくここに鉄砲を撃ちに来ていた。
ある日金に困った百姓家の主が、土地を買ってもらいたいと申し出た。
1坪2銭でしぶしぶ引き受けたのが、南平台の25万坪だった。
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◆西郷従道
1843-1902 天保14-明治35 59歳没
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■妻 士族得能良介の娘 清子
1854-1928 安政01-昭和03 74歳没
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●庶子 政子  役人楢原陳政夫人
●実子 従徳  次代当主
●実子 豊彦  篠原乙次郎の娘雪江と結婚
●実子 従義  上村従義男爵となる 山本権兵衛伯爵の娘ナミコと結婚 
●庶子 従親  士族渡部富次の娘紀見子と結婚
●庶子 豊二  高羽惣兵衛の娘登志子と結婚
●実子 従志  小松従志伯爵となる 山口圭蔵の娘千代子と結婚
●庶子 栄子  士族平岡良助夫人
●実子 桜子  岩倉具張公爵夫人
●庶子 不二子 古河虎之助男爵夫人




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萬朝報 明治31年09月01日

侯爵西郷従道は永田町岡田吉右衛門の娘ナカを妾とし、
政子・従親・豊二・栄子・不二子の5人を挙ぐ。
ナカは新橋の桃太郎とて有名の芸妓なりき。


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『現代百家名流奇談』  明治36年出版

侯爵西郷従道には逸話がたくさんあるが、
最もおかしいのは紅葉館が大好きという話である。
宴会などの通知や招待状が来るとまず第一に見るのがその場所で、
会場が紅葉館であると万障御繰合できっと出席したのである。
妻恋う鹿ではあるまいしどうしてこう紅葉なる館が慕しいのかというに、
牝鹿と目指されし別嬪が紅葉館の女中に一人あったので、
侯爵の心はいつでも秋の牡鹿同然紅葉の中の牝鹿に引き寄せられておったゆえである。

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◆西郷従徳
1878-1946 明治11-昭和21 67歳没
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■妻 岩倉具定公爵の娘 豊子
1880-1964 明治13-昭和39 84歳没 
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左から 豊子夫人 豊子の母久子/岩倉具定公爵夫人 従徳
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●従吾 次代当主
●従純 叔父古河虎之助男爵の養子になり古河従純となる
●道子 稲葉直通夫人
●従龍
●従子 士族林田昭正夫人
●竹子 鍋島直康夫人
●董子 内藤賴博夫人
●従宏
●従靖 古河従靖となる
●従達 黒木従達となる





◆西郷従吾
1903-1980 明治36-昭和55 77歳没


■妻 池田仲博侯爵の娘 静子
1907-1987 明治40-昭和62 80歳没


●従紀
●祐子 
●朗子 
●従節
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by oMUGIo | 2005-01-09 00:00 | 勲功華族

桂太郎公爵家 政治家 その2

●歌子の子  与一  次代当主   
●歌子の子  蝶子  医師長雄勝馬夫人
●歌子の子  茂子  小寺勝三と死別・長崎英造と再婚
●貞子の子  三郎  井上三郎侯爵となる
●貞子の子  潔子  政治家長島隆二夫人
●貞子の子  輝子  官僚天岡直嘉夫人
●可那子の子 五郎
●可那子の子 新七
●可那子の子 寿満子 伊藤文吉男爵夫人
●妾の子    露子  学者中村銀作夫人
●妾の子    勝子  芸者から学者武谷成直夫人


●可那子の子 寿満子 伊藤文吉男爵夫人

右が寿満子
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寿満子&伊藤文吉男爵(伊藤博文の二男)
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by oMUGIo | 2005-01-08 00:00 | 勲功華族

桂太郎公爵家 政治家 その1

◆桂太郎 総理大臣
1848-1913 弘化04-大正02 65歳没

*ドイツに留学
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ドイツにて
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■最初の妻 離婚


■2番目の妻 野田歌子 死別
 -1886  -明治19 


■3番目の妻 宍道貞子 前妻の兄の未亡人 死別
 -1890  -明治23


■4番目の妻 死別


■5番目の妻 可那子 酌婦【お花】
1875-1940 明治08-昭和15 65歳没
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●歌子の子  蝶子 医師長雄勝馬夫人
●歌子の子  与一 次代当主   
●歌子の子  茂子 小寺勝三と死別・長崎英造と再婚
●貞子の子  三郎 井上三郎侯爵となる
●貞子の子  潔子 政治家長島隆二夫人
●妾の子   輝子 官僚天岡直嘉夫人
●可那子の子 五郎
●可那子の子 寿満子 伊藤文吉男爵夫人
●可那子の子 新七郎
●妾の子    露子/真佐子 学者中村銀作夫人
●妾の子    勝子  芸者から学者武谷成直夫人


左から 太郎の妹駒子 寿満子 太郎 可那子夫人 新七郎 五郎 三郎
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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

桂太郎公爵は妻には縁の薄い男と見える。
最初の夫人はなぜか離縁をなし、その次の夫人は5,6人の子供を遺して帰らぬ旅に行かれ、
3度目の夫人は前夫人の兄が未亡人で桂公爵はこの未亡人を迎えて後室とせられたが、
これも不運なことには亡くなってしまった。
4度目には素晴らしい美人を貰い受け、いざ安心と思う間もなくまたもや先立って死なれた。

現夫人は前後数えて5回目の妻で、かつて桂公爵が第三師団長に任ぜられ名古屋に赴いた折、
最初のほどは真面目くさっていたものの
こればかりは辛抱しきれなかったとみえて花柳の巷に車馬を馳せると、
いつしか御目にとまったのが土地に名高い香雪軒の【お花】と呼ぶ愛嬌のある娘であったとか。
さてこのお花が身分は何かと調べてみたら桶屋の一人娘、
故あって香雪軒に貰われ日々毎日万客の御機嫌を伺うのを常々の勤めとしていた。
立てば芍薬座れば牡丹なんともかとも申しようなき美形、
土地の鼻下長連は先を争って香雪軒に乗り込む始末に、
肝心の料理はさておきお花の磁石力は毎夜多くの客を満たし思いもよらぬ繁盛を致した。

桂公爵も美形のお花に接してからは
何となく可哀想なヘンテコな気が起こって時々香雪軒に車馬を停めたが、
とうとうお花と桂公爵との間に同盟条約が締結され、
ついに今日の公爵夫人が出来上がったのである。
そんな訳で10年前のお花が実家は見るも気の毒な侘住まいであったが、
今日この頃は打って変った境遇、贅沢三昧に世を送るのは実に幸せなものである。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正13年07月02日

宮内官僚酒巻芳男

黒田清輝病気重体なり。清輝には正妻なく妾を正妻と為す事の希望あり。
宮内大臣牧野伸顕より相談ありたるゆえ、
「宗秩寮としては聞き届けらるる事は望まず。先例は二様になりおり。
これを許す方の先例は桂太郎の妻可那子は井上馨の養女と為りて結婚を許可されおり、
これを聞き届けざる例も最近にあり」との事を告げたるに、
宮内大臣は「これを拒む旨を告げ置くべし」と言いたり。


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◆桂与一
1882-1913 明治15-大正02 31歳没


■妻 新田忠純男爵の娘 テイコ
1887-1956 明治20-昭和31 69歳没


●広太郎 次代当主
●寿雄
●友子  進緯介夫人





◆桂広太郎
1908- 明治41-


■妻 白根松介男爵の娘 富美子
1918- 大正07-


●茂都子
●繁太郎
●栄二郎





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桂太郎の妾 芸者お鯉 安藤照子
1880-1948 明治13-昭和23 68歳没

14歳で新橋の芸者になり、
歌舞伎役者の市村羽左衛門に見初められて結婚するが離婚、新橋に舞い戻る。
山縣有朋の紹介で桂太郎の妾となる。
邸内には<お鯉の間>が作られ、妻妾同居となった。
桂の死後は仏門に帰依し、目黒羅漢寺の尼僧として生涯を閉じた。
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by oMUGIo | 2005-01-07 00:00 | 勲功華族

曾禰荒助子爵家 政治家 その2

●安輔 次代当主 
●績子 林養三夫人
●寛治 芳川顕正伯爵の娘鎌子の婿養子になり芳川寛治伯爵となる
●豊三 銀行家中島宇三郎の娘美喜子と結婚
●又男 牧野勝従の娘光子と結婚
●吉弥
●敏子
●駒雄
●冬来


男性左から 寛治 又男 吉弥 豊三 績子の夫林養三
女性左から 寛治の妻芳川鎌子 テルコ夫人 豊三の妻喜美子 績子
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●寛治 芳川顕正伯爵の娘鎌子の婿養子になり芳川寛治伯爵となる
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●豊三 銀行家中島宇三郎の娘美喜子と結婚
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●又男 牧野勝従の娘光子と結婚
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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

曾禰荒助子爵は長州出身の一代で築いた勲功華族であった。
明治43年に荒助が死亡すると大黒柱を失った曾禰家に次々と不幸が襲う。

昭和3年に現当主安輔が死亡したためその嫡男昌孝が新当主となるが、
11歳であったため父の弟又男=荒助の四男が昌孝の後見役となる。
そのご四男又男と芳川伯爵家の婿養子となっていた次男寛治との間に
荒助が遺した骨董類をめぐって争いが起きる。
ちなみに芳川寛治伯爵の妻は
大正6年にお抱え運転手と心中して大スキャンダルとなった鎌子である。

まず寛治が曾禰家から骨董類を勝手に芳川家に持ち帰る。
そこで又男が仲間とともに芳川家から骨董類2万1800円分を盗んで
4200円で売り飛ばす。
ところが盗んだ骨董類は曾禰家から持ち出したものではなく芳川家伝来のものだったため
寛治は又男を警察に訴える。
又男は家宅侵入・窃盗罪などで昭和5年刑務所に入る。

そこで又男の余罪が明るみに出る。
A氏所有の金屏風をB男爵に売り込んでやると嘘の話を持ちかけて金屏風を騙し取った挙句、
取り返すために金が必要だとしてさらに700円も騙し取った。
また幼い当主昌孝の実印を勝手に使用してC氏から2000円の借金をしていた。

寛治は寛治で婿養子として芳川家に与えた損害の穴埋めをするために
曾禰家から荒助の銀の胸像を持ち出して売り飛ばす。
この胸像が店先に並んだことから一件がバレて、
『売り物に出た曾禰子爵の銀胸像』『まざまざ物語る名家の末』
などと新聞に書かれてしまう。

又男は自分の母光子と妹敏子と妻仲子4人で曾禰家の分家を成していた。
曾禰子爵家の現当主昌孝には扶養すべき母や多くの弟妹がおり、
出所してきた又男や分家の面倒を見る余裕はなかった。

そこで4人はかつて曾禰荒助と光子夫妻に恩のあった
真珠王御木本からの援助で細々と暮らしていた。
ところが昭和11年2月、母光子が死亡すると当然御木本からの援助が打ち切られる。

残った3人は集まった香典で生活していたが時間の問題である。
まず同年5月妻仲子が服毒自殺する。
さらに同年10月妹敏子が首吊り自殺する。
そして又男も同年同月に死亡しているが、死因は明らかでない。
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by oMUGIo | 2005-01-06 00:00 | 勲功華族

曾禰荒助子爵家 政治家 その1

◆曾禰荒助子爵
1849-1910 嘉永02-明治43 61歳没
もと宍戸潤平の子 婿養子になる
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■妻 先代の娘 テルコ


●安輔 次代当主 
●績子 林養三夫人
●寛治 芳川顕正伯爵の娘鎌子の婿養子になり芳川寛治伯爵となる
●豊三 銀行家中島宇三郎の娘美喜子と結婚
●又男 牧野勝従の娘光子と結婚
●吉弥
●敏子
●駒雄
●冬来


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萬朝報 明治31年07月07月

曾禰荒助は芝明舟町 田中豊の妹イネ(17)とて
一昨年鞆江学校を卒業間際にて退学したる女を、
本年03月頃より1ヶ月わずかに10円の約束にて小間使い兼妾に雇い入れ、
在官中はいつもイネを携えて官邸に宿泊し日曜ごとに自邸に伴い帰るを例とし、
片時も離さざるまでに寵愛したるが多情の曾禰は飽き足らず、
秘かに三十間掘 花三升の花香こと浅田テイ(19)の色香を愛で、
しばしば足を運べりとぞ。

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◆曾禰安輔
1880-1928 明治13-昭和03 48歳没


■妻 医師菊池常三郎の娘 マスコ
1892- 明治25-
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●初子 平松左右一夫人
●君子 早川文夫人
●高子
●昌孝 次代当主
●寛二郎
●祥三
●慎吉
●恵子
●昭子
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by oMUGIo | 2005-01-05 00:00 | 勲功華族

伊藤博文公爵家 政治家 その2

●後妻の子 生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
●愛人の子 朝子 外交官西源四郎の後妻
●愛人の子 文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
●愛人の子 真一
●愛人の子 沢子 官僚大竹虎雄夫人


立つ左から 生子 生子の夫末松謙澄子爵 朝子の夫西源四郎 朝子
座る左から 博文 梅子夫人
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●生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

伊藤博文公爵を中心とする閨閥の筆頭は末松謙澄子爵であろう。
伊藤公爵の第二女婿に西源四郎という男がある。
彼ははじめ生子と結婚し間もなくベルギーに留学したが、
その不在中に末松子爵はイギリスから帰朝しケンブリッジ大学出の秀才ともてはやされた。
当時政府では条約改正の一方便として極端な欧化政策を行い、
怪しげなダンスなどをしきりにやって妙齢の淑女と独身の官吏とが公然とふざけることを奨励した。
当時の生子女史は本野・牧野夫人等とともに欧化婦人の急先鋒と称されていただけに
いつの間にか本夫の源四郎氏を捨てて末松子爵と自由結婚を行ったものである。


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『明治閨秀美譚』 明治25年出版

末松謙澄氏の夫人は名を生子という。伊藤公爵の娘なり。
つとに西洋的の教育を受け華族女学校を卒業して氏に嫁ぎ、
よく英仏の語に通じ舞踏巧みにしてもっとも交際社会に重んぜらる。
西洋風の華美を喜ぶ。かつて氏の県治局長として内務に奉職するや、
その帰邸 例に遅るること1時間に及べば、夫人自ら馬車に駕して内務省に行き
氏の用務終わるを待ち相携えて同乗し帰途につく。当世の一才媛なり。


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萬朝報 明治31年08月23日

子爵末松謙澄の夫人生子は公爵伊藤博文の娘なるがため
万事についてワガママの振る舞い多く
たまたま謙澄が夜更けて帰ることあれば恐ろしき剣幕にて叱りつくるをもって
さすがの謙澄も大いに閉口し小糠三合の俗戒を思い出して秘かに歎声を発することあり
とは我輩の聞くところなるが、好きの道はまた格別なりとみえ、
いつの頃いかにして手に入れしかは知らざれども
夫人生子の厳重なる監視の目を潜り
日本橋区箔屋町の絵草紙屋錦華堂浅井一忠の娘ケイ(23)を妾とし、
桧物町の春の屋をもって会合の場所とせり。

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●朝子 外交官西源四郎の後妻

夫 西源四郎
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●文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
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●沢子 官僚大竹虎雄夫人
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●博精  次代当主
●博春  清水博春男爵となる
●博通  瀧川儀作の娘美津と結婚
●琴子  早逝
●博約
●愛子  永富謙一夫人
●博臣
●博則  林博則となる
●博経
●十四子 鹽原祥三夫人
●博孝  横山昭子と結婚
●博英  岡根英子と結婚


左 愛子 永富謙一夫人
右 琴子 早逝
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●女子
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by oMUGIo | 2005-01-04 00:00 | 勲功華族

伊藤博文公爵家 政治家 その1

東京本邸 荏原郡大井町 (現:品川区大井)


◆伊藤博文 総理大臣
1841-1909 天保12-明治42 68歳没
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■前妻 士族入江嘉伝次の娘 スミコ 離婚


■後妻 下関の芸者小梅/梅子
1848-1924 嘉永01-大正13 76歳没
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梅子夫人と娘生子
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●後妻の子 生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
●愛人の子 朝子 外交官西源四郎の後妻
●愛人の子 文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
●愛人の子 真一 
●愛人の子 沢子 官僚大竹虎雄夫人


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萬朝報 明治31年07月13日

公爵伊藤博文の猟色談はあえて珍しからず
世間に知られたる事実もまたはなはだ多しといえども、
ここに記する事実のごときはけだし珍中の珍 秘中の秘たるべし。

芝区伊皿子町に田村半助なる男あり。古くより土木請負のために公爵家に出入りする者なるが、
その縁故により同人の長女喜勢子はかつて公爵の妾となりて
非常の寵を受け麻布長坂町に壮麗なる邸宅を新築しもらいてそこに住みいたるが、
喜勢子はふと病気にかかりてさる26年にこの世を去りしかば公爵は非常に落胆したれども、
その次の妹なるツネコという美人を手に入れ喜勢子のことを打ち忘るるまでに喜びいたるが、
このツネコもまた昨年12月に19を一期として死去せしかば
公爵はまたまた非常に落胆したれども、なおその次の雪子とて本年16なる美人のあるに力を得、
前例によって雪子を手に入れんと欲しそのことを半助に語り出でたるに、
姉娘の二人まで早逝せしことのなんとなく気がかりなるより今回は容易にお請けせず、
本人の雪子もまた深く怖じ恐れて承諾する模様なきより、
公爵はいっそうにいらだちて是非ともその望みを達せんと欲し、
さる05月16日に執行したる姉二人の追福法会の際には莫大の金品を与えるなど
半助に種々恩を着せたるうえ出入りの者9までを使い手を替え人を替えて交渉中なれども、
先月あたりまではいまだ話のまとまらざる様子なりしが、
元来半助一家は公爵家のために今日の生活を成しいる次第なれば、
今頃は早や話のまとまりしやもしれず、これも分かり次第に報道することとせん。


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

山縣有朋公爵の第一夫人は友子、第二夫人は貞子であったが、
友子夫人を迎える前猛烈な恋の奴隷となったことがある。
相手は松陰門下の野村和作の妹で名をスミコと言った。
この娘に山縣公爵がぞっこん惚れ込んで、
刀にかけても宿の女房にもらい受けずにおくものかと大変な熱度でせっせと足を運ばせたが、
この道には案外臆病であった山縣公爵はどうしてもそれを打ち明けるだけの勇気がなく、
ぐずぐずしているうちに横合いから伊藤博文公爵が飛び出してまんまとスミコを寝取ってしまった
伊藤公爵は初めからスミコを恋したのではなく
山縣公爵に鼻を明かせてやろうという悪戯からやったのだから、
一旦はスミコと結婚したが間もなくこれを離縁した。罪なことをしたものである。


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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

今でこそ公爵の令夫人として上流社会に知られておるが、素を洗えば河竹のの流れの身、
ようやくほころび初めた二八の春に根引きせられた雛妓上がり、
それがあのように出世したのかと思えば夫の牡丹公ばかりが異数の出世とも言われない。
以前勤めの身であった折には高杉晋作なぞが悪強いに
雛妓姿のあられもなく一升酒をあおったこともあったが
その後大酒だけは止めたかれど今なおポートワインを嗜んでおるそうである。
ある時夫の伊藤公爵は夫人に向かって
「あまり酒を飲むのは身体のためによろしくないゆえ少し止めたらよかろう」と忠告した。
すると夫人は笑いながら「あなたが煙草をお止めになったら、私も一緒に止めます」
と伊藤公爵が煙草好きのところへつけ込んで答えたので、
伊藤公爵も自分だけは煙草を喫むが夫人にはいけぬとも言いかね、
かえってヤブヘビの失策をなされたということである。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年02月23日

倉富&李垠王付事務官高義敬の台詞

高◆先年梅子未亡人より大磯の滄浪閣を李垠王に献上したしとの内意あり。
梅子未亡人は東京に移住する希望あり。
7,8万円もあればよろしく10万円ならば充分なりとの事なりしが、その後24,5万円との話もあり。
梅子未亡人の真意わかりかね、
李王家の御典医小山善をして大磯に行きたる時これを問わしめたるに、
梅子未亡人は10万円ならば充分なりと言い、末松未亡人〔娘の生子〕大磯に行きおり、
これも梅子未亡人と同様の考えなりし由なり。
倉富◆梅子未亡人は李垠王に縁故ある所なるゆえ無代にても献上したき素志にて、
家屋はもちろん器具等も一切そのままに献上したしと言いおる様に聞きおれり。


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倉富日記 大正10年03月25日

倉富&高義敬の台詞

高◆伊藤家所有の大磯別邸を李垠王に譲る事は10万円を出せば充分との事なりしが、
近日に至り10万円にては不足なりとの事にて12万円とか15万円とかいう話があり。
倉富◆10万円にて不足とは何人より言い出したる事なりや。
梅子未亡人が「大磯に居りては老人にて心細きゆえ東京に移住したし。
東京に住居を構える費用としてその入用の金を得たし。10万円ならば充分」との事なりしなり。
高◆初めはそのつもりの様に聞きおりたるも、
未亡人は末松の邸内に住居を作り末松未亡人が奉養する事とし、
その住居は末松の所有となるにつき建築費も末松より出す事となり、
李王家より出す金は未亡人の方には入用なき事となりたる由なり。妙な事になりたりと言う。


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倉富日記 大正10年09月22日

倉富&李垠王付典医小山善の会話

倉富◆梅子未亡人は既に東京に転居したりや。
小山◆大磯の滄浪閣は朽腐したる所多く雨漏り多きにつき、
梅子未亡人は速やかに東京に移住する事を望みおれども、
末松家邸内に建築しおる所はいまだ竣成せず。住する所なきゆえいまだ決定せず。
倉富◆差向き末松の家に住してよろしきにあらずや。
小山◆末松の方にても近日謙澄の一周祭を行うゆえ同居しがたしと言い困りおる所なり。
倉富◆只今の話の如く滄浪閣を引き受けらるれば
修繕費を要する事を少なからざるゆえ含みおきくれよ。


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倉富日記 大正12年10月24日

高義敬の台詞

〔関東大震災直後〕大磯の滄浪閣は到底修繕できず。
自分が行って見たる所にてはすぐに倒家を片づけざれば不体裁なり。
李垠王の東京本邸の修繕には9万円を要する物と6万円を要する物との2様の設計あり。
〔資金を滄浪閣に回す事は難しい〕


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◆伊藤博邦
1870-1931 明治03-昭和06 61歳没
井上馨の甥/もと井上光遠の子 
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■妻 易者高島嘉右衛門の娘 多満子
1881-1927 明治14-昭和02
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●博精  次代当主
●博春  清水博春男爵となる
●博通  瀧川儀作の娘美津と結婚
●琴子  早逝
●博約
●愛子  永富謙一夫人
●博臣
●博則  林博則となる
●博経
●十四子 鹽原祥三夫人
●博孝  横山昭子と結婚
●博英  岡根英子と結婚


立つ左から 博邦 博文
座る左から 多満子夫人 朝子 梅子夫人 生子  
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椅子左から 多満子夫人 山縣有朋 梅子夫人 博文 生子 
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立つ左から 文吉 博精 末松謙澄子爵 真一
座る左から 生子 梅子夫人 博文 たま子夫人
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

伊藤博邦公爵は井上勝之助侯爵の実弟で、
勇吉〔伊藤家の養子になる前の名前〕時代には放蕩無類の不良少年であったそうだ。
花柳の巷に入り浸って芸妓を身請けして妾にしたこともあれば、
情夫となって女の家に入り浸り長火鉢の前に朝風呂丹前をきめ込んだこともある。
勇さんの名は花柳社会の流行語ごなり、また遊冶郎の代名詞ともなった。

高島嘉右衛門の娘を迎えて正妻に直し式部次長に進んでからは少しは素行も改まったが、
いわゆる秦淮の風・鄭衛の音は天性の好物であるから
時としては秘かに自然主義の実行者となり、博邦の名は依然として美人の間に名高かった。
博邦公爵が宮内省に初めて職を奉じた当時栗原広太・桂潜太郎の二人がいて、
これに博邦を加え宮内省の三道楽者と言った。

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◆伊藤博精
1899-1962 明治32-昭和37 63歳没


■妻 高橋是福の娘 福子 総理大臣高橋是清の孫
1904-1992 明治37-平成04 88歳没


●博雅
●邦子
●雪子
●文子
●典子
●久子





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伊藤博文の妾 祇園の芸妓 江良加代
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西園寺公望→木戸孝允→伊藤博文→最後は財閥三井高辰の妾として幸せな生涯を終えた
時の権力者に次々と愛された芸妓。

木戸孝允の妾であったが、木戸の急死により好色な伊藤博文が手を出した。
しかし伊藤は今までの旦那達のようにお加代に贅沢をさせなかったので、
お加代の方からフラれて去られてしまった。
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by oMUGIo | 2005-01-03 00:00 | 勲功華族

板垣退助伯爵家 政治家 その2

●鈴子の子 鉾太郎 次代当主
●薬子の子 正一 乾正士となる
●絹子の子 孫三郎
●絹子の子 正實
●絹子の子 六一 乾六一となる
●鈴子の子 兵子 片岡熊之助夫人
●鈴子の子 軍子 政治家宮地茂春夫人
●鈴子の子 猿子/婉子 安川甚一と結婚・写真家小川一真と再婚
●絹子の子 千代子 財閥浅野泰治郎夫人
●絹子の子 良子 学者小山鞆絵夫人


●猿子/婉子 安川甚一と結婚・写真家小川一真と再婚
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●千代子 財閥浅野泰治郎夫人
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●良子 学者小山鞆絵夫人
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by oMUGIo | 2005-01-02 00:00 | 勲功華族

板垣退助伯爵家 政治家 その1

◆板垣退助
1837-1919 天保08-大正08 82歳没

*退助が一代華族論を主張していたため、遺志に従い子孫は爵位を返上した
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■最初の妻 林益之丞政護の妹


■2番目の妻 中山弥平治秀雅の娘


■3番目の妻 小谷善五郎の娘 鈴子


■4番目の妻 元妾/荒木絹子

*板垣は複数の妾を自宅に置いて妻妾同居していたが、
廃娼論の高まりにより3番目の妻の死後は他の妾たちに暇を出し絹子を正妻にした。
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★妾 士族久川晋吉の姉 政野


★妾 医師萩原静安の娘 薬子


★妾 芸者 小清


●鈴子の子 鉾太郎 次代当主
●薬子の子 正一 乾正士となる
●絹子の子 孫三郎
●絹子の子 正實
●絹子の子 六一 乾六一となる
●鈴子の子 兵子 片岡熊之助夫人
●鈴子の子 軍子 政治家宮地茂春夫人
●鈴子の子 猿子/婉子 安川甚一と結婚・写真家小川一真と再婚
●絹子の子 千代子 財閥浅野泰治郎夫人
●絹子の子 良子 学者小山鞆絵夫人


立つ左から 兼子 宮地茂秋 千代子 小川一真
座る左から 絹子夫人 板垣退助 六一郎 婉子 本山信子 
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◆板垣鉾太郎
1868- 明治01-


■前妻 井上式之の娘 寛子 離婚
1875- 明治08-


■後妻 松本丑太郎の娘 節子


●守正
●正貫
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by oMUGIo | 2005-01-01 00:00 | 勲功華族


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