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穂積陳重男爵家 官僚

東京本邸 牛込区払方町 (現:新宿区払方町) 敷地1200坪 建坪330坪


◆穂積陳重
1855-1926 安政02-大正15

*イギリス・ドイツに留学
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■妻 渋沢栄一子爵の娘 歌子
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●重遠  次代当主
●律之助
●孝子  財閥渋沢元治夫人
●光子  政治家石黒忠篤夫人
●真六郎
●晴子  英語学者市河三喜夫人


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

穂積陳重男爵は大学教授にしては不相応な生活をし朝野の間に重んぜられたのは、
背後に渋沢栄一子爵を控え、一方には児玉源太郎伯爵の娘を迎えてせがれの重遠氏の妻とし、
寺内正毅伯爵とも姻戚の関係があったためであろう。
舎弟の八束氏は富豪浅野総一郎の女婿である。

彼は官府を神聖なものと思っているようだが、自己自身をも神聖視し、
家にいる時でも身分の卑しい召使などと直接言葉は交わさない。
俥に乗っても行く先を言わず、俥の上からアゴで指揮する。
大学に出勤するはずで俥に乗ったが、車夫が誤って枢密院へ引き込んでしまった。
しかし言葉を発して直接車夫を叱るようなことはせぬ。
俥の上からアゴをしゃくって元の道へ引き返せと命令している。
車夫は心得て舵棒を握り踵を返して、再びまた自邸へ引き返してしまった。
そのため穂積男爵の激怒をこうむって、その日限り抱え車夫を解雇されたなどの珍談もある。

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◆穂積重遠 法学者
1883-1951


■妻 児玉源太郎子爵の娘 仲子


●重行
●和歌子
●美代子
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by oMUGIo | 2005-03-20 00:00 | 勲功華族

阪谷芳郎子爵家 官僚

東京本邸 小石川区原町 (現:文京区千石)  敷地3000坪
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◆阪谷朗廬/阪谷希八
1822-1881 文政05-明治14 59歳没
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■妻 山成直蔵の娘 恭子 イトコ結婚
1832-1924 天保03-大正13 92歳没
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●礼之介
●次雄
●達三
●芳郎


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朗廬&恭子の曾孫 阪谷芳直

朗廬は顔が長くて「馬面」と言われた容貌の持ち主で
いわゆる良い男の部類には到底入らなかったし、
ひどく歯が悪くて豆腐ばかり食べている不景気な面もあった。
山成直蔵は甥である朗廬の人物や学殖はもちろん高く買ってはいたが、
娘の恭子を嫁にやるという点になると
直蔵も娘心を推し量って果たして恭子が首をタテにふるかどうか危ぶんだ。
ところが直蔵が気持ちを聞くと
恭子は言下に「希八っつあん、好きや」と答えたので話はバタバタと決まった。

物にこだわらない飄逸でユーモラスな性格の
いささかも偉ぶることのない親切で働き者の「婆サ」は、
5人の息子のうちただ一人生き残った四男の芳郎が
異数の出世を遂げ華族に列せられ大邸宅を営むようになってもそうした生活を喜ばず
自分の息子の芳郎の謹直ぶりに辟易して「芳っさんは、どうも堅苦しゅうていかん」と言って
芳郎の大邸宅を出て次男次雄の遺児良之進とともに
本郷西片町の小さな家でささやかに暮らすことの方を喜んだ。

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◆阪谷芳郎
1863-1941 文久03-昭和16 78歳没
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■妻 渋沢栄一子爵の娘 琴子
1870- 明治03-
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●希一  次代当主
●敏子  堀切善次郎夫人
●和子  高嶺俊夫夫人
●俊作  
●八重子 中村貫之男爵夫人
●千恵子 秋庭義衛夫人
●総子  伊藤熊三夫人


左から 千恵子 八重子 総子
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

渋沢栄一子爵は経済上の意見を徴するとの名の下に、
都筑馨六・添田寿一・久米金弥・瀬田健次郎・棚橋一郎・杉江輔人らを
飛鳥山の別邸に招いて酒宴を開いた。阪谷男爵もその席に列した一人である。
その時盛装した美少女があって、
時々席に姿を現しては客に茶をすすめ酒を注ぐ風情の何とも言えぬ艶やかさに、
一同は酔えるごとく期せずして視線をこの美少女に集中した。
よいほどに宴を徹して解散となったが、
それから数日を経て穂積博士〔渋沢栄一の娘婿〕は阪谷男爵の下宿を訪ね、
渋沢子爵の娘を妻に迎えんことを勧めた。
あまり突然の話に阪谷男爵も始め耳を疑ったが、よく聞けば酒宴に現れた美少女が当の娘で、
過日の集まりは実は愛娘の婿選びをする目的で開かれた宴会であることがわかった。
しかも多数才人の中から阪谷男爵を選んで白羽の矢が放たれたということであったから、
どうしてこれを断ることができよう。男冥利に余った話とあって即座に承諾した。
他の一同はこれを伝え聞いて、さてはそうであったかと引立役になった愚を後悔するやら、
岡焼き半分に欺かれたことを憤るやら、
なかでも都筑男爵のごときは渋沢子爵の娘に意があって陰に運動を試みつつあった折柄とて、
その落胆失望の様はよその見る目も気の毒なほどであったということだ。

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◆阪谷希一
1889-1957 明治22-昭和32 68歳没
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■妻 三島弥太郎子爵の娘 寿子
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●正子
●朗子
●芳直
●理子
●順子
●春子
●秀直
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by oMUGIo | 2005-03-19 00:00 | 勲功華族

鮫島員規男爵家 軍人

◆鮫島員規●子供ナシ
1845-1910 弘化02-明治43 65歳没
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■妻 士族有馬糺右衛門の娘 ミネコ
1862- 文久02-
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◆鮫島具重
1889- 明治22-
もと岩倉具経男爵の子


■妻 花房義質子爵の娘 豊子
1896- 明治29-
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●員重 次代当主





◆鮫島員重
1914- 大正03-


■妻 財閥渋沢正雄の娘 純子
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by oMUGIo | 2005-03-18 00:00 | 勲功華族

牧野伸顕伯爵家 政治家

◆牧野伸顕
1861-1949 文久01-昭和24 87歳没
もと大久保利通侯爵の子
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■妻 三島通庸子爵の娘 峰子
1870-1944 明治03-昭和19 74歳没
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イタリアにて
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峰子夫人の姪 土方梅子 三島弥太郎子爵令嬢/土方久敬伯爵夫人

牧野伸顕と結婚した叔母は隣に住み、毎日のように祖母のいるお離れに来ておりました。
峰子と園子は鹿鳴館の花形で、牧野伸顕は鹿鳴館で峰子を見初め是非にと言われましたが、
二女ですから長女より先に嫁入るわけにはいかないと断りましたら、
それでは自分の尊敬する先輩を紹介するからと秋月の叔父を園子に紹介し
二人の叔母の結婚が決まりました。
二人の叔母は学習院女子部第一回卒業生でしたが、
牧野の叔母は鶴の一声という感じで同窓会を牛耳っておりました。
牧野伸顕も是非にと望んで結婚した叔母でしたが、
その気の強さにはいささか困ったのではないでしょうか。


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『現代評判 美人の戸籍しらべ』  大正08年出版

この峰子が牧野夫人になるまでには美しいロマンスがある。
鹿鳴館でその優しい容姿は貴公子達の胸を躍らせたものである。
ヨーロッパ留学から帰った牧野君もその一人で、
ついに成功の冠はこの人の頭に加えられて三島峰子は牧野峰子になった。
峰子は無邪気快活であり何事にもテキパキした女性で、
妙齢の頃には男を男とも思わぬぐらいで
父が父であるだけに権柄ぶるとも言われたぐらいであるが、
妙齢の頃に多少の非難を受けた峰子夫人の快活な気分は決して今日も失われていない


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年01月23日

倉富&宮内官僚小原駩吉の会話

小原◆牧野は夫婦揃いて看護婦嫌いの趣にて、
自分は峰子夫人がこれを嫌う事と思いおりたるも、
実際伸顕も大嫌いにて看護婦と言うだけにても気色が悪しきくらいなる趣なり。
伸顕の養生を易うるには夫人の考えを変えざれば出来がたき事なるが、
只今の所にてはその工夫なし。
倉富◆夫人は三島より嫁したる者なるが父弥太郎も死去したるにつき、
夫人を説得する適当の人なからん。


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●伸通  次代当主
●雪子  総理大臣吉田茂夫人→孫は総理大臣麻生太郎・三笠宮寛仁親王妃信子
●利武子 秋月種英子爵夫人


オーストリアにて 左から 雪子 峰子夫人
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オーストリアにて 左から 伸顕の兄大久保利武侯爵 伸通 峰子夫人 伸顕
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●雪子 総理大臣吉田茂夫人→孫は総理大臣麻生太郎・三笠宮寛仁親王妃信子
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●利武子 秋月種英子爵夫人
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峰子夫人の姪 土方梅子 三島弥太郎子爵令嬢/土方久敬伯爵夫人

牧野の長女雪子はイトコの中で最年長でしたが、色白の優しい人でみんなに慕われていました。
後に吉田茂と結婚しますが、これは叔父が部下の中から利け者と認めて選んだのです。
しかし雪子は吉田茂と結婚するよう命令された時は嫌で卒倒したとの話も伝わっています。

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◆牧野伸通
1891-1956 明治24-昭和31 65歳没
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■妻 鍋島直明男爵の娘 純子
1900- 明治33-
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●伸和
●貞子  
●淑子  
●美知子
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by oMUGIo | 2005-03-17 00:00 | 勲功華族

伊東巳代治伯爵家 政治家

東京本邸 麹町区永田町 (現:千代田区永田町)
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◆伊東巳代治
1857-1934 安政04-昭和09 77歳

ロシアにて
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■妻 恵宗猛の娘 阿八重
1858- 安政05-


●太郎 次代当主
●二郎 伊東二郎子爵となる 相馬順胤子爵の娘沢子と結婚
●三郎
●四郎 山梨半造の娘富子と結婚
●五郎 中野五郎となる
●ミチ 原口徠男爵夫人
●六郎
●九郎 伊東九郎子爵となる
●喜美 斎藤馨之助夫人
●重一郎


●二郎 伊東二郎子爵となる 相馬順胤子爵の娘沢子と結婚
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●ミチ 原口徠男爵夫人
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萬朝報 明治31年07月16日

伯爵伊東巳代治は河原崎座の出方にて野幇間を兼ねチラ粂と呼ばれたる
梅田浅次郎養女石田アサ(35)が日本橋数寄屋町にて和泉屋千代という芸妓たりし頃より
買い馴染みて妾とし永田町自邸表門の方の家に置き、
裏門の方には住吉町の万屋小達の達子こと中山ノブ(26)を妾とし置く。
これにもかかわらず巳代治は、昨年雇い入れたる小間使いの永野ケイ(18)に通じて孕ませしが、
これがためにケイは妻妾の妬みを受けた虐待され、この02月急病を発して堕胎す。
その後病気回復を待ちて再び巳代治方に到り、以前のごとく小間使い兼帯の妾となりつつあり。

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◆伊東太郎
1880- 明治13-


■妻 西川忠亮の娘 チカ
1890- 明治23-


●治正
●タチコ
●ミヤコ
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by oMUGIo | 2005-03-16 00:00 | 勲功華族

大木喬任伯爵家 政治家

◆大木喬任
1832-1899 天保03-明治32 67歳没
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■妻 


●生母不明 豊子 資産家金谷金之助夫人
●生母不明 遠吉 次代当主
●生母不明 達子 実業家日下義雄夫人
●愛人の子 艶子 俳人


●豊子 資産家金谷金之助夫人
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●達子 実業家日下義雄夫人
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萬朝報 明治31年08月01日

伯爵大木喬任は有名の蓄財家にして、
日常の買物すら自ら台所に到りていちいち品物をあらため値段の談判までなして買入れ、
あまつさえ代価は先月の分を今月の末に支払うをもって例とし、
家風を知らぬ出入り商人はおうおう迷惑することあり。

伯爵はまた非常の好色家にして、
かほどの倹約家に似合わず女のためには思わざる金を失いて後悔することしばしばあり。
近所の細民中には金に困りたる時わざと女房や娘をお手伝いと称して屋敷に到らしめ、
上手く伯爵の機嫌を取らしめ一夜のお伽料若干を得て帰り、
これをもって一種の融通法となしおる者さえあり。

伯爵もまた少しも恥ずることなく平気に獣行をたくましくして金銭を与えつつあるが、
伯爵には自分の子に等しきキノ(26)という妾あり。
キノは麹町にて魚屋をなしいたる若山某の娘にて、
その母小金セキは芝区太左衛門に往し素人下宿を営めり。
その妹セキ(19)は常磐津の弟子にて若喜勢といい このほど御披露目をなししが、
セキもまた姉の縁にて伯爵邸へ出入りしいるうちついに伯爵の情を受け準妾となれり。
その妹のタミももはや16歳なれば、遠からず姉二人の例にならいて伯爵の準妾となるべし。

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◆大木遠吉
1871-1926 明治04-大正15 54歳没
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■妻 伊達宗敦男爵の娘 幸子
1880- 明治13-
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●伸子 婿養子を迎え次代当主とする
●二女
●三女
●四女
●五女


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『名士文士貴婦人すっぱぬき』  大正06年出版

伯爵の若様達の間に先年一紛争が起こったことがある。
問題は赤坂の美形林家おきんの奪い合い事件で、
最初伊達という華族様が三河屋でおきんに可愛がられているのを見た大木遠吉伯爵が
ムラムラと例の野心を起こし「おい、おきんちょっと来い」と別室の電燈を暗くしてからは、
おきんは大木の殿様の肩を怒らせて歩く姿が勇ましくて気に入ったと
一時はアツアツのおでんよろしくの仲となっていたところ、
好事魔多し大木伯爵はその後坐骨神経痛で足が立たず
しばらく御無沙汰しているこの機乗ずべしとかねておきんに思し召しのあった柳原義光伯爵は
待合春の家からおきんを呼んで心意気の調子を合わせてから他人ならぬ仲となった。
おきんはそれにしても大木伯爵に気が置けるので
「柳原様、大木の旦那はどうなすったのでしょう」と聞くと、
柳原伯爵は「大木か、あれは近頃青山に美しいのを囲っているのに男の子が生まれたので
有頂天にうれしがりそちらにばかり入り浸り、おまけに千家の借銭に判をしたので
7000円を失くしたから取り戻そうと相場に手を出し、
お前のことなどはとうに忘れてしまっているよ」と言うに、
おきんも合点しそれからは私の好きなは柳原様ばかりとしなだれかかるので
柳原伯爵もグンニャリとなり毎日毎日会っている。
それを聞いた大木伯爵は烈火のように怒り、
「友人の所有権を侵すとはもっての他。このままでは済ませぬ。
以後の戒めに懲らしめてくれよう」と鉄拳を振り上げようとすれば足が利かぬ。
こは残念と芝伊皿子の柳沢邸に電話をかけると
保恵伯爵すぐさま鼻眼鏡をかけ水雷艇式の自動車を飛ばして駆けつけ、
とくと事の次第を聞いてそれは容易ならぬ公卿華族と新華族の悶着、
将軍家の血統を加えねば仲裁役に役者が足らぬと
さっそく柳橋一藤井に電話をかけて徳川厚男爵を迎え、
しきりに融和妥協に尽くしたのでようやくなんとか妥協ができたとかできなかったとやら。

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◆大木喜福
1898- 明治31-
もと慶喜系徳川厚男爵の子 婿養子になる
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■前妻 先代遠吉の娘 伸子 駆け落ち事件を起こす・離婚
1902- 明治35-
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■後妻 美穂子
1910- 明治43-


●前妻の子 吉甫


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大木遠吉には5人の娘がいたが男子がなかったため、
娘伸子に慶喜系徳川厚男爵の子喜福を婿養子に迎えた。
二人の間には息子吉甫が生まれたが、
美貌であるが気が強いと評判の伸子は押し付けられた夫喜福に反発した。
遠吉が亡くなってからは母幸子夫人までもが
伸子と共に喜福に冷淡な態度を取ったため、孤立した喜福は別居した。
そして母子はなぜか遠吉の妾の子安藤秀樹を屋敷に受け入れる。
さらに伸子はこの5歳年下の腹違いの弟秀樹と不倫して妊娠してしまい二人は駆け落ちする。
事ここに至って大木家は伸子を離婚させたうえ除籍した。
大木家に残った喜福は当主となって、のちに再婚した。
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by oMUGIo | 2005-03-15 00:00 | 勲功華族

土方久元伯爵家 政治家

東京本邸 小石川区小石川林町 (現:文京区千石)
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◆土方久用
1809-1890 文化06-明治23 81歳没


■妻 神山信子 
1834-1890 天保05-明治35 56歳没


●久元 次代当主 
●玉子 東久世通敏伯爵と結婚離婚


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玉子は二男一女をもうけたが、住込みの書生森田潔と不倫関係になり離婚。
森田と遊び回るために多額の借金を作っていたこともわかり、
元夫から刑事告訴された。
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◆土方久元
1833-1918 天保04-大正07 84歳没
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■妻 田村永正の娘 亀子
1838-1899 天保09-明治32 61歳没
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●久明 次代当主


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孫 土方与志

<久元&亀子夫妻の不和について>

祖父が80歳、私が18くらいの時だったと思う。
「わしはたった一度の見合いというものもせずにお前のお祖母さんと結婚したのだよ。
お祖母さんは綿帽子をかぶって嫁入りに来たものだった。
大変な大女なんだよ。(祖父は5尺足らずの小男だった)
帽子を取ったのを見ると、真っ黒な顔に白粉をまだらに塗り付けている」

成り上り者となった祖父は大邸宅を構え夜は花街に享楽の時を過ごすという生活を始めたのだが、
その表面的な豪華さに比べ家庭的な生活は決して幸福なものとは言えなかったようだ。
それは祖父の結婚生活の始まりからすでにきざしていたものなのだろう。
夫婦・親子の間には様々な愛情的なもつれがあったらしい。その生活は派手なものであり、
祖母は祖母で持ち前の飲酒癖が募って居間の戸棚にはいつも一升徳利が置いてあったという。

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◆土方久明
1862-1898 文久02-明治31 36歳没

*ドイツに留学

*ピストル自殺
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■前妻 死別


■後妻 加藤泰秋子爵の娘 愛子
1877- 明治10-
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●前妻の子 綾子 実業家田中銀之助と結婚離婚
●後妻の子 久敬 次代当主 演出家土方与志


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息子 土方与志

帰国後4年ほどして父は二度目の結婚をした。
父は36歳で母は20歳、その頃としてはすでに晩婚の方であった。
母の家は外様大名であり、祖父はいかにも旧大名らしい人物であった。
祖母は嫁入りした当時はまだ貧乏公卿であった西園寺公望の妹にあたる。

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土方与志の妻 土方梅子

土方与志の母愛子は美しい未亡人でした。三島の母が
「あんなにおきれいなのに、お一人でいらっしゃるなんて惜しいわな」とよく申していましたが、
若くて美しい姑の再婚を阻んだのは夫の自殺でした。
与志の父久明は36歳で姑の愛子と結婚しましたが、
すでに18歳の時最初の結婚によって一人娘の綾子をもうけておりました。
最初の妻は土方家へ行儀見習をかねて小間使いに来ていた酒問屋の娘でしたが、
綾子を生むと間もなく死んでしまいました。
その悲しみの中で久明はドイツへ遊学しましたが、日本を離れた原因の一つにには
祖父母の不和からくる家庭の暗さもあったものと思われます。

姑は自分が二度目の妻である事をまったく知らずに結婚したところ
自分とわずかしか年の違わない娘までがいることがわかったので大変ショックを受けたのです。
加藤家ではそのような事情を承知していたのでしょうが、
結婚する当人には知らされておりませんでした。
そんな事は当時としては珍しい事ではありませんが、
大名のお姫様として気位高く育った姑は大変プライドが傷つけられました。
もともと美しいけれどどこか冷たい印象を与える
姑は当時としては婚期を過ぎた20歳で嫁いでおりますが、
土方家へ来てから夫の過去を知りますます冷たい感じの人になって行きました。

久明は「久敬を頼む」との一言を残して、ピストルを自分のこめかみに打ち込みました。
姑はとっさに自分の袂をつかみ傷口を押えましたが、
血は吹き上げてかたわらに寝ていた生後3ヶ月の与志の上に飛び散りました。
久明の自殺は嫁の仕打ちも一つの原因だと土方家の祖母や親戚の人達が姑を責めたそうです。
自由思想の考えを持っていた伯父西園寺公望の勧めで見合いを再三いたしましたが、
自殺者の妻で会った事が大きな障害になって再婚の道は閉ざされてしまいました。
愛子の冷たい印象がさらにマイナスの要素を付け加えたと思われます。


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土方与志の妻 土方梅子

土方家に住み始めて日ならずして突き当たったのは、嫁と姑の問題でした
姑は結婚して間もなく夫に自殺されたという運命の人だったからでしょうが、
それは気難しい人でした。
気に入った人にはとてもよくしましたが気に入らないと見向きもしない人で、
私が「おはようございます」と御挨拶してもツンと横を向いておしまいになるし、
食事なども私がお運びした物は召し上がらない事があるといった調子でした。

大名のお姫様に生まれた姑から見ますと、
私の母は公卿の出ですが三島家は薩摩の下級藩士に過ぎませんから、
家風が違うという意識もあったと思います。


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土方与志の妻 土方梅子

綾子は16歳で【天下の糸平】ち呼ばれた大問屋の田中糸平の息子銀之助に嫁ぎましたが、
当時の女性には珍しい奔放な生き方をした人でした。
嫁入りしてみると愛妾がいて大きな子供まであったために、
夫がそうなら私もと役者遊びを始め先代幸四郎との遊び的な恋愛が評判となって、
子供が3人もいたのですが25歳の時に離縁になり土方家に帰されました。
その後また久元のもとへ出入りしていた人と恋愛して、久元から勘当されておりました

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◆土方久敬/演出家土方与志
1898-1959 明治31-昭和34 61歳没

*ヨーロッパに遊学

*与志は演出家として妻梅子は衣装デザイナーとして演劇活動に没頭、
プロレタリア演劇に傾倒して夫妻は逮捕される。
その後妻子とともにソ連に亡命、爵位を剥奪される。


■妻 三島弥太郎子爵の娘 梅子
1902-1973 明治35-昭和48 71歳没 

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与志&梅子夫妻 与志の母愛子と
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フランスにて 与志&梅子夫妻 与志の母愛子と 
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●敬太
●与平


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妻 土方梅子

私達の結婚に対して親戚中で大反対でした。
「土方家の人々は素行が収まらない。たとえ今は恋愛結婚でも、泣いて帰るに違いない」
というのが反対理由でした。
祖父や父の素行などもみんなわかっておりましたので、
与志もその血を引いているに違いないと親戚中が心配して反対しました。
後で考えてみますと、やはり血を引いておりました

私達がフィアンセになれたのは、私の病気のお陰でした。
医者が私の身体は結婚したら2年ぐらいしかもたないだろうと言われたそうです。
2年しかない命ならば、あんなに「好きだ、好きだ」と言ってるんだから、
結婚させてやったらよいだろうと父が許してくれましたわけです。

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妻 土方梅子

病気療養のために外国行きが勧められている与志に、
この条件を逆手に取ってモスクワの国際革命演劇同盟の世界大会と演劇オリンピアードに
出席してほしいという話が日本プロレタリア演劇同盟から持ち込まれました。
与志はこれを承諾して
「病気療養とヨーロッパ演劇界の視察」を目的とした外国旅行の申請をしました。
華族社会では厄介者の与志が外国へ行ってくれるのは大歓迎で、
親戚達がパスポート許可の運動をしました。
外務省は早くから許可の方針でしたが、警察関係は与志を国内で逮捕したい、
またモスクワへ行くであろう事も察知して旅券の発行を妨害しました。
二人の子供達を連れて行く事、各人の自由行動は許さない、
家族全員で一通のパスポートを使用するという条件で、
ようやくパスポートを手にした時には
3日後に出航する船に乗らなければ世界大会に間に合わない状態でした。

国際オリンピアードとそれに続く会議が終了すると
各国代表はそれぞれの国へ帰って行きましたが、
私達は日本政府から禁止されたモスクワへ来てしまったのですから帰国できませんし、
ヨーロッパの国々に遊ぶ金もありません。
モスクワへ留まる事を決意した私達は、職を求めモスクワ市民として生きる手立てを講じました。
日本からは宮内省の【伯爵剥奪】の通達が届きました。
私の兄三島章道が代理として宮内省から呼び出しを受け、
その旨を書いた書類を渡されたそうです。
兄から電報で知らせた届いてその後書類が届きましたが、
私どもは来るものが来たという感じでその書類も焼き捨ててしまいました。
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by oMUGIo | 2005-03-14 00:00 | 勲功華族

大山巌公爵家 政治家

東京本邸 豊多摩郡千駄ヶ谷町 (現:渋谷区千駄ヶ谷)
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◆大山巌
1842-1916 天保13-大正05 74歳没

*フランスに留学
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■前妻 吉井友実伯爵の娘 沢子 死別


■後妻 士族山川重固の娘 捨松/咲子
1860-1919 安政07-大正08 58歳没

*日本初の女子留学生として津田梅子らとともにアメリカに留学

左から 永井繁子8歳 上田悌子14歳 吉益亮子14歳 津田梅子6歳 捨松11歳
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10年という長期の留学に際して両親は「捨てたと思って待つのみ」という願いを込めて、
本名の咲子を捨松に改名させて御国のために送り出した。
捨松はヴァッサー大学を首席で卒業、アメリカの大学を卒業した日本人女性第一号となる。
帰国した捨松に大山巌が求婚する。
大山は先妻をなくして再婚であり、三人も娘があり、18歳も年上で見込みはないと思われた。
しかし捨松の提案でデートを重ねるうちにフランス留学の経験があり生活は洋風でモダンな大山と
アメリカ育ちの捨松は意気投合、翌年に再婚した。
結婚してからも仲睦まじく、捨松は終生大山を「イワーオ」と呼んでいた。
他人に聞かれたくない話は互いにフランス語で会話したという。
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●前妻の子 信子  三島弥太郎子爵の前妻 離婚 小説『不如帰』のモデル
●前妻の子 芙蓉子 細川一之助男爵夫人
●前妻の子 留子  渡辺千春伯爵夫人
●後妻の子 久子  井田磐楠男爵夫人
●後妻の子 高    早逝
●後妻の子 柏    次代当主


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●留子 渡辺千春伯爵夫人
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◆大山柏
1889-1969 明治22-昭和44 80歳没

*ヨーロッパに留学
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■妻 近衛篤麿公爵の娘 武子
1897-1983 明治30-昭和58 86歳没


●梓
●桂
●檀
●咲子
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by oMUGIo | 2005-03-13 00:00 | 勲功華族

山縣有朋公爵家 政治家

東京目白台 東京本邸<椿山荘> 2万坪

麹町五番町 <新椿山荘> 700坪

小石川水道町 <新々亭> 500坪

京都南禅寺 京都別荘<無鄰菴> 敷地2坪、うち半分が庭園 洋館あり

小田原板橋 小田原別荘<古稀庵> 1万坪 後方に<皆春荘>あり
関東大震災後、洋館のみ山縣農場へ移築

大磯別荘<小淘庵> 5,000坪

山縣農場 天然林150町歩・草山600町歩

*山縣宅の庭園は、ほとんど山縣有朋自身の設計による


◆山縣有朋 総理大臣
1838-1922 天保09-大正11 83歳没
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■前妻 庄屋石川良平の娘 友子
1851-1893 嘉永04-明治26 42歳没
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■後妻 芸者貞子 姉タキコは益田孝男爵の妾

*妾であった貞子を前妻の死後後妻とする

左 川上貞奴  右 貞子夫人
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●前妻の子 松子 船越光之丞男爵夫人


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萬朝報 明治31年07月11日

三井物産の益田孝は日本橋茅場町の別宅に吉田タキ(31)なる妾を蓄う。
タキは新橋吉田屋【山登】と言いし芸妓にて、
後にその実妹貞子に山登の名を譲りて自らは老松と名乗りたるが、
18の歳に益田の子を産み落とし、ついに落籍さる。
信世というのは、すなわちその子なり。

また妹の山登こと貞子(28)は一時会計監査官中山寛六郎の持物なりたれど、
ついにその親分なる公爵山縣有朋に奪われてその妾となり、
侯爵が総理の際には小石川水道町に住まわせたるが、
征清のはじめには目白台椿山荘の裏門脇に移り住み、
その後いつとはなしに本邸に入り込む。

また母のマキは講談師松林伯知を男妾とし、
娘二人のお陰にて日本橋上槙町に寒菊なる待合を開きて豊かに暮らしつつあるが、
その亡夫安兵衛は南伝馬町の唐物屋なりしが、日本橋の芸妓歌吉と情死を遂げたり。

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◆山縣伊三郎
1858-1927 安政04-昭和02 68歳没
初代有朋の甥

*フランスに留学

フランスにて
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■妻 加藤弘之男爵の娘 隆子
1867-1931 慶応03-昭和06 64歳没
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●清子  田中文蔵夫人 
●有道  次代当主
●三郎
●吉朗  勝津吉朗となる
●寿美子 竹屋春光子爵夫人
●五郎
●七郎


●女子
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◆山縣有道
1888-1945 明治21-昭和20 57歳没

*ドイツに留学


■妻 前田利同伯爵の娘 鞭子
1895-1965 明治28-昭和40 70歳没
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●美枝子 都築響六男爵の子都築忠春と離婚・日笠百勝と再婚
●有信  次代当主
●美智子 北沢仁夫人 


●美枝子 都築響六男爵の子都築忠春と離婚・日笠百勝と再婚

美枝子&前夫都築忠春
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◆山縣有信
1918-1974 大正07-昭和49 56歳没


■妻 政治家今成留之助の娘 睦子
1924- 大正13-


●有徳
●真紀子
●由紀子
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by oMUGIo | 2005-03-12 00:00 | 勲功華族

安東貞美男爵家 軍人

◆安東貞美男爵
1853-1932 嘉永06-昭和07


■妻 伊東祐英の娘 家栄
万延01-


●隆子 吉田為次郎夫人
●誠子 哲学者桑木厳翼夫人
●恒子 ピアニスト 外交官太田喜平夫人
●節子 軍人服部平次郎夫人
●貞雄 次代当主
●直  農学者
●糸子 軍人本郷義夫 夫人
●幸子 外交官笠原太郎夫人
●清  医学者


●節子 軍人服部平次郎夫人
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◆安東貞雄 
明治27-


■妻 坪井祥三の娘 和気
明治34-


●貞子
●貞昭
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by oMUGIo | 2005-03-11 00:00 | 勲功華族


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