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安保清康男爵家 軍人

◆安保清康
1843-1909 天保14-明治42
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■妻 青田久作の娘 与根子
安政05-
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●操子 婿養子を迎え次代当主とする





◆安保清種
1870-1948 明治03-昭和23
もと軍人沢野種鉄の子 婿養子になる
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■前妻 先代の娘 操子 死別
明治05-大正02
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■後妻 山下スエコ
明治13-


●梢子   婿養子を迎え次代当主とする
●松代
●富久代
●次郎
●竹代


●女子
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◆安保宗人
明治28-
もと安保櫟人の子 婿養子になる
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■妻 先代の娘 梢子
明治31-
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●八千代
●清嗣
●二見男
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by oMUGIo | 2005-05-10 00:00 | 勲功華族

山本達雄男爵家 政治家

◆山本達雄
1856-1947 安政03-昭和22
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■妻 柴田昌吉の娘 多穂子
慶応01-大正10


●エミコ 松村真一郎夫人
●フミコ 広幡忠隆侯爵夫人

●フミコ 広幡忠隆侯爵夫人
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『名士文士貴婦人すっぱぬき』  大正06年出版

男爵山本達雄氏の夫人多穂子の方のお道楽というのがすこぶるふるったもので、
一風変わった女中道楽である。
女中は目下は炊事の他に小間使い仲働き合わせて5,6人あり、これが残らず美人ぞろい。
それも細面のいわゆる薄手の美人ではお気に召さず、
フックリとした下ぶくれの愛嬌たっぷりの当世美人のみを選ばれたので、
桂庵は山本さんのお屋敷と聞くといよいよお召し抱えになるまでには少なくとも
3人や5人はお目見えをさせなければ成功しないので骨が折れてたまらないと言っている。
その代り一度お抱えになると夫人が優しくって奉公人らしい扱いはせず、
我が子も同様に待遇して暑さ寒さにはきっと絹布のお仕着せが下がるし
四季それぞれお小遣いを下さるうえ遊山をさせる。
この遊山がまた夫人の女中道楽を遺憾なく発揮していて、
小間使いはいずれも着物はもとより羽織から帯さては頭の物下駄の鼻緒までが残らずお揃いで、
まるで芝居の腰元といったように着飾らせ、
夫人自らお化粧の世話までして嬉しそうにしておられる。
そうしてこの時に限って玄関から大威張りで出かけることを許され、
夫人はわざわざそれを送って出られる始末。これが夫人唯一の道楽である。

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◆山本達郎 学者
1910-2001
もと政治家松村真一郎の子


■妻 実業家 原邦造の娘 澄子 学者
1914-1997
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by oMUGIo | 2005-05-09 00:00 | 勲功華族

近藤廉平男爵家 実業家 

東京本邸 牛込区市ヶ谷田町 (現:新宿区市谷田町)
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◆近藤廉平
1848-1921 嘉永01-大正10
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■妻 豊川篤治の娘 従子
安政04-大正02


●栄子  大久保利武侯爵夫人
●滋弥  次代当主
●八重子 会社員浜口担夫人
●貴子  上杉憲章伯爵の後妻
●廉治  樺山愛輔伯爵の娘泰子と結婚 夫婦でダンスホール事件を起こす
●富路子 技術者橋本敬之夫人
●清子  藤森雄平夫人
●廉之助 


●栄子 大久保利武侯爵夫人
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●八重子 会社員浜口担夫人
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●貴子 上杉憲章伯爵の後妻
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●廉治 樺山愛輔伯爵の娘泰子と結婚 夫婦でダンスホール事件を起こす
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●富路子 技術者橋本敬之夫人
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●清子 藤森雄平夫人
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近藤廉平の息子廉治&安子夫妻は「ダンスホール事件」と呼ばれるスキャンダルを起こす。
昭和08年ダンスホール<フロリダ>の男性ダンス教師が
多くの有閑マダムとの姦通罪で逮捕された。
ダンス教師は女性客を斡旋していたのは
柳原義光伯爵の娘で吉井勇伯爵夫人の徳子であると自供した。

歌人でもある吉井勇は若い頃からかなりの放蕩児であった。
結婚しても息子が生まれても生活を改めることがなかったため、
当てつけのように徳子も不倫に走ることになる。

斎藤茂吉の妻輝子、近藤廉治&安子夫妻など、
徳子の遊び仲間が一斉に検挙された。
そこで徳子は近藤廉治と不倫、妻の安子もダンス教師と不倫、というダブル不倫も発覚した。

宮内省は世間を騒がせた<不良華族>に厳しい態度で臨み、
近藤廉治&安子夫妻は華族から除籍されて平民に格下げされた。
徳子は吉井勇と離婚、吉井は芸者の娘孝子と再婚し京都に住まった。
輝子と斉藤茂吉は事件以降来別居夫婦となる。
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◆近藤滋弥
明治15-

*イギリスに留学
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■妻 西条松平頼和子爵の娘 信子
明治25-
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●多満子
●貞純
●多美子
●真和
●省三
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by oMUGIo | 2005-05-08 00:00 | 勲功華族

森有礼子爵家 政治家

銀座尾張町の邸宅を現在の一橋大学に寄付

永田町1丁目に5000坪を買い新居を建設

森清の代になってから、青山6丁目の3000坪の土地に移動


◆森有礼
1847-1889 弘化04-明治22

*イギリスに留学


■前妻 士族広瀬冨五郎の娘 常 離婚
1855-
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■後妻 岩倉具視公爵の娘 恒子/寛子 有馬頼万伯爵と離婚・森有礼と再婚
1864-1943 元治01-昭和18
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寛子夫人と明夫妻
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●前妻の子 清 次代当主
●前妻の子 英
●前妻の子 安
●後妻の子 明 牧師 徳川篤守伯爵の娘俣子と結婚


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寛子夫人&前夫の子 有馬頼寧伯爵の日記 昭和02年10月17日

森のお母様の事につき相談。
今の屋敷を2万円ぐらいに買ってもらいたいとの話。
243坪ある由、負債総額は4万余円との事
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◆森清
明治08-


■妻 松平康民子爵の娘 淑子
明治13-


●君子  樋口春光夫人
●有剛  次代当主
●寿美子 前田敏夫夫人
●恵美子 
●巌



◆森有剛
明治38-


■妻 士族横山千代子
明治43-


●有一
●洋子
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by oMUGIo | 2005-05-07 00:00 | 勲功華族

榎本武揚子爵家 政治家

◆榎本武揚
1836-1908 天保07-明治41 72歳没

*オランダに留学


オランダにて
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■妻 医師林洞海の娘 多津
1852-1893 嘉永05-明治26 41歳没
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●武憲  次代当主
●春之助
●尚方


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萬朝報 明治31年07月20日

子爵榎本武揚は向島須崎町の自邸に
木村カク(30)・松崎マサ(29)という二人の妾あり。
いずれも夫人存生の頃より女中に来たりし者なり。

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◆榎本武憲
1873-1924 明治06-大正13


■妻 黒田清隆伯爵の娘 梅子
1882- 明治15-


●清武
●千代子 酒匂常清夫人
●武英  次代当主
●綾子





◆榎本武英
1910- 明治43-


■妻 星野源左衛門の娘 とみ子
1910- 明治43-


●隆充
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by oMUGIo | 2005-05-06 00:00 | 勲功華族

金子堅太郎伯爵家 政治家

◆金子堅太郎
1853-1942 嘉永6-昭和17

*ハーバード大学に留学
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■妻 士族山田秀典の娘 弥寿子
慶応02-大正05
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●ヤエコ
●清子  財閥川崎肇夫人
●武麿  次代当主
●文子
●直忠


●ヤエコ
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●清子 財閥川崎肇夫人
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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

金子堅太郎伯爵夫人が嗜好中の大嗜好といえば壮士芝居とやらで、
壮士俳優中で夫人が最も御贔屓筋といえば川上音二郎で、
彼が市中の劇場に出たと聞けばどんな用事を差し置いても必ず見物に出かけるが、
初日に大入りはおろか千秋楽まで一日も欠かさず足を運ばれるその熱心さ加減は、
まことに夫人の引き立てに対し川上の深謝するところであろう。

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◆金子武麿
1897-1959 明治30-昭和34年
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■妻 大橋新太郎の娘 豊子
明治34-


●明子
●正忠
●広忠


●明子
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by oMUGIo | 2005-05-05 00:00 | 勲功華族

谷干城子爵家 軍人

◆谷干城
1837-1911 天保08-明治44
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■妻 国澤七郎右衛門通辰の娘 玖満子
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●庶子 芳子 社会学者建部遯吾夫人


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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

夫人の名は玖満子、谷干城子爵の所に嫁したのは19歳という花盛りで、
当時谷子爵は江戸に遊学のことゆえ双方の親同士が相談の上に連れ合せる訳になって、
いよいよ江戸にある谷に一度国へ帰るようとの話であったから、
谷子爵もどんな婦人か顔を見ないではなんとなく気が済まぬので急いで実家へと帰った。
母はこの時谷子爵に向かってはや宅に引き取って奥座敷で針仕事をやっている、
何にせよ対面がとすぐに玖満子を谷子爵の間に呼びつけた。
これを見た谷子爵はかねてよりどのくらいな別嬪かと心の内で想像していたのは案外
あまりに美しくないために一方ならず失望したとか、若い時にはよくあることだ。

あてがはずれし谷子爵は「こんなことならわざわざ江戸を去るには及ばなかった。
本当に馬鹿馬鹿しい」と独り言を漏らしたが、
さりとて両親が意に背いてみだりに縁を切るわけにもいかず、
この上は何なりと嫁の落度を見出しこれを条件に離縁の相談を持ち出そうと
秘かに毎日嫁御が挙動に注目した。
ところがもとより利発の夫人何ひとつ落度のあろうはずもなければ、
これまで追い出そうとした谷子爵も
なるほど両親の眼鏡も違わぬものであると深く首肯したのである。
ときたま昔話の出るごとに右の物語をするので、そばに聞いておる谷子爵も夫人に向かい
「また昔話を始めか、聞きたくもない」なぞと言うてたちまち間を去られるとはもっともな訳。

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◆谷乙猪
1858-1889 安政05-明治22 31歳没
もと谷重昌の子


■妻 村田経芳男爵の娘 愛子


●儀一  次代当主
●守人  水谷由章の娘千代と結婚
●満津子 士族福井策三夫人





◆谷儀一
1881-1948 明治14-昭和23 67歳没
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■前妻 士族原忠順の娘 サトコ
1888-1914 明治21-大正03 26歳没


■後妻 曽我祐保子爵の娘 文子
1894- 明治27-


●妙子
●武夫
●正臣
●直臣
●梅子
●元臣
●斌臣
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by oMUGIo | 2005-05-04 00:00 | 勲功華族

加藤弘之男爵家 官僚

◆加藤弘之
1836-1916 天保07-大正05 79歳没
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■妻 須賀田岩蔵の娘 鈴子
1846- 弘化03-
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●照麿 次代当主
●隆子 山縣伊三郎公爵夫人
●徳子 古川武太郎夫人
●梅子 学者榊原三郎夫人
●久子 学者俵國一夫人





◆加藤照麿
1863-1925 文久03-大正14 61歳没


■妻 士族岩崎静彦の娘 津弥子
1869- 明治02-


●成之 次代当主
●四郎 浜尾四郎子爵となる 探偵小説家
●雪子 平民金子恭一夫人
●鋭五 京極高鋭子爵となる 音楽評論家
●郁郎 古川郁郎となる 喜劇俳優古川ロッパ 
●七郎 増田七郎となる


★古川ロッパ 喜劇俳優
1903-1961 明治36-昭和36 57歳没





◆加藤成之
1893- 明治26-


■前妻 医師佐々木隆興の娘 順子
1901-1924 明治34-大正13 23歳没


■後妻 佐藤達次郎男爵の娘 貞子
1903- 明治36-


●秋子
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by oMUGIo | 2005-05-03 00:00 | 勲功華族

陸奥宗光伯爵家 政治家

◆陸奥宗光
1844-1897 天保15-明治30 53歳没
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*ヨーロッパに留学


■前妻 大阪の芸者<お米> 蓮子 死別
-1872 -明治05


■後妻 東京の芸者<小鈴> 亮子
1856-1900 安政03-明治33 43歳没
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●前妻の子 広吉 次代当主
●前妻の子 潤吉 古河潤吉男爵となる 未婚
●後妻の子 清子 未婚
●愛人の子 冬子 未婚


左から 亮子夫人 宗光 広吉
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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

昔を洗えば大阪新町の花柳界で少しは顔の売れた粋者の果て、
その色香に迷い込み日毎に通うお客の中から
手練の腕によりをかけ見事生け捕ったはカミソリ大臣、
ここにめでたく泥足を洗う身となり昨日に変わった丸髷姿、
果たせるかな腹を痛めた二人のせがれ、
いずれも立身出世し第二の陸奥ができるとの世評は四方八方。
ところが才子多病美人薄命の諺が的中して、
悲しいかな夫人には産後の病気でとうとう亡くなられてしまった。

昨日までは手活の花として寵愛して措かなかった恋女房も狂風に散ってしまった後は、
持って生まれた色情の炎なかなかに消ゆべくもなくここに召し出された再度の夫人、
しかしこれも同じく粋界の出身、
その頃板垣伯爵が愛妾であった小清とともに新橋の双美と謳われたほどの優物。
もっとも元来が道楽者の陸奥伯爵、
先夫人が芸妓で次もまた芸妓であるときたはこの間の消息あに真面目なるを得べけんや。

陸奥伯爵が有名なる女好きであったことは誰もまた知っていたことだが
不思議なのは惚れた弱みか、また夫人の腕前が優っていたのか、
外へ出てはずいぶん馬鹿もした代り家にいる時は鴛鴦も羨むほどの厚い伉儷、
こればかりは陸奥伯爵の性行中特筆大書すべき異例である。

陸奥伯爵は何を申すも人情にはごく冷淡酷薄で、
眼中には絶えて一滴の涙をも持たぬ性質であった。
この冷情な陸奥伯爵がある時都筑馨六男爵を評して、
「人も馨六のように軽薄では仕方がない。今少し人情を斟酌するようでなくては」
そばに沈黙していた夫人は陸奥伯爵の顔を見つめたかと思うと、
「そう仰せられるあなたはどうです。藪を突いて蛇を出すとはこんなことでございませぬか」
と言われた陸奥伯爵、再び何の言葉もなかったとか。

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◆陸奥広吉
1869- 明治02-

*英ケンブリッジ大学に留学
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■妻 イギリス人エセル/磯子
1868- 明治01-
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*エセルは広吉が留学していた時の下宿先の娘。
結婚の約束をするが父宗光に反対されたため、父の死後やっと結婚できた。
出会いから17年後、広吉は37歳、エセルは38歳になっていた。


●イアン陽之助





◆イアン陽之助
1907-2002 明治40-平成14 95歳没

*イギリスに留学

*インタナシヨナル映画株式会社を創立
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■前妻 本田須賀


■後妻 祥子
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by oMUGIo | 2005-05-02 00:00 | 勲功華族

西郷隆盛侯爵家 政治家

東京本邸 麻布区市兵衛町 (現:港区六本木)
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◆西郷隆盛
1828-1877 文政10-明治10 49歳没


■最初の妻 士族伊集院兼善の娘 須賀子 離婚


■2番目の妻 佐栄志の娘 愛加那/愛子 現地妻
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■3番目の妻 岩山直温の娘 糸子 バツイチ・隆盛と再婚
1838-1922 天保09-大正11 84歳没 
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●愛加那の子 菊次郎
●愛加那の子 菊草/菊子 大山巌の弟と結婚
●糸子の子  寅太郎 次代当主
●糸子の子  牛次郎 士族堀藤十郎の娘ヒデコと結婚
●糸子の子  酉三





◆西郷寅太郎
1866-1919 慶応02-大正08 53歳没

*ドイツに留学
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■妻 実業家園田実徳の娘 信子
1877- 明治10-
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●愛子  吉田道夫の養女となる
●隆輝  次代当主
●敦子  緒明太郎夫人
●勝子
●吉之助 次々代当主
●隆永  大橋田鶴子と結婚
●隆国  波多野隆国子爵となる
●隆明  松村重子と結婚
●隆正
●光子  幣原道太郎夫人
●隆徳


●愛子 吉田道夫の養女となる
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◆西郷隆輝●妻子ナシ
1902-1920 明治35-大正09 18歳没
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◆西郷吉之助
1906-1997 明治39-平成09 91歳没
先代隆輝の弟
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■前妻 尾張徳川義親侯爵の娘 春子 離婚
1915- 大正04-


■後妻 斉藤芳次郎の娘 貞子
1925- 大正14-


●吉太郎
●和子
●慶子




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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

西郷寅太郎の妻信子の放浪癖によって、西郷家は傾いた。
信子は競馬に大金を投じたりして贅沢で知られた実業家園田実徳の娘で、
信子も万事に派手好みであった。
日銀総裁富田鉄之助の元邸宅を購入する、13人もの女中を雇う、
衣裳・芝居・物見に浪費する。
到底軍人の給料で支払える家計ではなかったが、
信子の実家園田家の援助で何とか維持していた。
ところが大正06年父園田実徳が亡くなって援助が途絶えと、西郷家はたちまち困窮した。
大正08年寅太郎が死亡した時には、負債は4万円に膨らんでいた。
信子は邸宅を9万円で売却した後、姑隆盛夫人糸子を始め寅太郎の遺児たちも
寅太郎の弟牛次郎に押し付けて、鹿児島別邸に逃れる。

大正08年侯爵を継いだ嫡男隆輝は心労から精神病となり、翌大正9年に死亡する。
そこで西郷家は、隆輝の弟吉之助を当主にすると同時に信子を廃籍するに至った。

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東京朝日新聞

<寅太郎侯が亡くなってから、火の消えたように淋しい西郷家>
信子夫人の室には、遺児の八男四女の夥しい群が団欒の袖も重げに声をのんだ。
西郷隆盛翁の世嗣として、寅太郎侯はあまりにも不遇の裡に死んだ。
父の名を維持せんとする痩我慢と生活に闘う苦悩とに寅太郎侯の健康は尠からず損られて、
死に先立つ数ヶ月寅太郎侯の病耳に入るものは生活の苦しい呻きばかりであった。
夫人の生家なる園田實徳氏が存命の折には生活の補いにかなりな情を受けたが、
園田氏没後は宏壮な邸をも売払って寅太郎侯には無論大打撃となった。
毎月600円も要という生計費は、
寅太郎侯が華族として世襲財産の利子と陸軍大佐の給料とに到底償い得なかった。
活計かさんで邸宅は既に3万余円の抵当にさえ入ったと伝えられた。
邸宅が売物に出た時、寅太郎侯は「私の存命中は、決して他人に渡したくない」
と病床に叫んだそうだが、
老体の糸子母堂の心苦労を思い遣り令弟午次郎氏のもとに移らしめた。


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雑誌 婦人世界 『怨みと憎み号

<侘住居の侯爵夫人>
故侯爵西郷寅太郎氏の夫人信子の君は、故あって西郷家を出て、
今は東京市内の某屋に侘しい独り住まいをしておられます。

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by oMUGIo | 2005-05-01 00:00 | 勲功華族


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