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原田一道男爵家 軍人

◆原田一道
1830-1910 文政13-明治43


■妻 中村市五郎の娘 志計子
弘化04-大正12


●豊吉  次代当主
●直次郎 洋画家





◆原田豊吉 地質学者
1861-1894 万延01-明治27


■妻 照子 父ドイツ人&母日本人のハーフ
明治01-


●熊雄 次代当主
●信子 画家有島生馬夫人





◆原田熊雄
1888-1946 明治21-昭和21


■妻 吉川重吉子爵の娘 英子
明治26-

*イギリスに留学


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娘 勝田美智子/政治家勝田主計の子勝田龍夫夫人

両親の結婚に関しては面白い話がありまして叔母から聞いたのですけれど、
母の父吉川重吉は岩国藩の出でハーバード大学出身の外交官でした。
その重吉が「どうしてもうちの娘をもらってくれ」と原田家へ頼んだそうなのです。
原田の家は新華族で大名でも何でもない家なものですからビックリしたそうです。
大名のお姫様をというので、これは大変だと思って父は断りに行ったのです。
そうしたら祖父に「その断りっぷりが気に入った。気に入ったから、
何でもかんでももらってくれ」と言われ、それで結婚したらしいのです(笑)

母は若い時2年間イギリスに留学していましたので、当時としてはやや晩婚でした。
母は普段は優しくて、わりと学者肌なひとでございますのよ。
父は地が強くて、母にしょちゅう大きな声で怒っておりました。
母は口答えは絶対しないで、
いつも「そうでございますか」とか「ごめんあそばせ」とか言っておりました。
でも母もたまに我慢ができなくなると、黙って雲隠れしてしまうのです。
そうすると今度は父の方が気が弱いもので、心配して女中さんに
「英子はどこに行ったのか、お前たち探してこい」と言って大騒動になるのです(笑)

父はよその方には面白い人で、すごくユーモラスな人でございました。
よく「いいわね、あんな面白いお父様で」とお友達から言われましたけど、
家の者にはそれほどでもないのでございますのよ。
父はお客様が大好きで、私達のお友達でもみんな呼んでしまうのでございます。
電話が各部屋にあって、お手洗いにまで電話をつけていました(笑)
どこかのお家に行っても、電話を拝借してかけるのです。
よその家に行っても自分の家のように振る舞う人だったのですよ(笑)


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英子夫人の妹 岩田幸子 松方勝彦と死別・作家獅子文六(本名:岩田豊雄)と再婚

姉は私とは18歳も違い、私の赤ん坊の頃イギリスへ留学した。
滞在中第一次世界大戦の雲行きが怪しくなり帰国することになったが、
久々に会った父と日本語で話すのが恥ずかしくて困ったと言っていた。
父はその後病床につき姉の結婚も急がれたが、
当時海外へ出た男性は少なく洋行帰りの娘は敬遠されなかなか決まらなかったが
原田熊雄と結ばれ大正04年12月結婚式を挙げた。
同月に父は亡くなり、姉達は新婚旅行から呼び戻された。
義兄は父を亡くした弟妹のために、婿頭と自称して本当によく面倒を看てくれた。


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●美智子 
●智恵子
●敬策
●興造


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娘 勝田美智子/政治家勝田主計の子勝田龍夫夫人

*美智子は独身の頃テニスミックスダブルス全日本チャンピオンであった。

結婚後は主人とよくゴルフをいたしました。
主人がテニス嫌いで「テニスはするな」と言われたのです。
一度アメリカでやってくれたのですよ。
プロとウチの主人が組んで私の方は神戸商大を出た方と組んでやったら、
向こうが負けちゃったのです。
プロと組んで負けたもので、それ以来「絶対するな」ということになったのです。
昔の男の人は奥さんに負ける事は全体にダメね。

義母は大変な姑で偉い人なのです。
大臣を3回務めた御主人の上を行っているような方なのですから、すごく大変でした。
舅は気軽に歩いて行く人でしたが、姑は近くの町に行く時でも
いつも渋谷という運転手の自動車に乗って行ったそうで歩いた事がないのです。
そういう偉い姑ですから、私の一挙一動をすっかり注目されちゃってすごくうるさかったです。
主人はマザコンなのですよ。主人は秘蔵っ子だったので、
私がちょっとでも主人と親しそうにしていると姑の機嫌が悪くなるのです。
それで主人から「お母様の前ではあまり僕に甘くしないでくれ」と言われてしまいました(笑)

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by oMUGIo | 2005-07-11 00:00 | 勲功華族

松田正久男爵家 

◆松田正久●子供ナシ
1845-1914 弘化02-大正03


■妻 鮫島静子
明治03-





◆松田正之
1892-1976 明治25-昭和51
もと有馬頼万伯爵の子 定之助
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■妻 蜂須賀正韶侯爵の娘 笛子
1898-1937




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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年01月21日

*倉富は松田正之の実家有馬伯爵家の相談役を務めていた。

有馬頼寧伯爵〔松田正之の兄〕より
「松田正之の結婚を蜂須賀よりしきりに申し込みに来る。
松田の未亡人〔静子〕の性行が普通ならざるゆえ
充分に聞き質したる上に決心せられたき旨を蜂須賀に申し向けおきたる」ことなどを話せり。


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倉富日記 大正08年06月27日

松田正之の台詞

自分も寡婦〔静子未亡人〕も結婚して異存なきにつき
今日電話にて結納の事等しかるべく取り計いくれたき旨を依頼したるところ、
頼寧は「有馬家にて嫁を貰う訳にあらざるゆえ、
正之と寡婦と相談してしかるべく取り計いたらばよろしかるべし」と言えり。
左のごとき返答はすこぶる意外なりしも、ともかく寡婦に対し頼寧の返答とは言わず
「松田家の結婚なるゆえ第一に寡婦の希望を聞きたし」旨を話したるところ、
寡婦は「このことは万事頼寧に依頼すべき」旨を告げたり。
やむをえず頼寧の返答を言いたるところ、
しからば結納はこちらにて取り計うことにして差し支えなし。
その費用は自分より半分出すにつき、正之より半分を出すべし。
先年有馬秀雄〔有馬伯爵家職員〕より正之の住居は有馬家にて設備し
生計費も有馬家にて支弁すべき事を申し出ており。
かつ自分と正之と別居することは頼寧よりも希望の一条件として申し出ておることにつき、
別居と言う以上はその家は有馬家にて設備するが当然なり。
よりて家と生計費の事はこの際是非とも有馬家にて引き受けることに相談しおかざるべからず。
もし引き受けざるならば自分にも考えあり」と言えり。自分の考えにては
寡婦の希望のごとく有馬家にて引き受けてくれるならば結婚問題を進行してもよろしきも、
もしその事が出来ざるならば結納を済まさざるうちに結婚話を止むる方がよろしからん。
しからざれば処置に困ることとなるべし。よりてこの事につき頼寧に相談してくれよ。


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倉富日記 大正08年06月29日

有馬頼寧の台詞

結納ぐらいは松田家にて取り計いてよろしからんと思い、
その趣旨を電話にて正之に答えたるまでにて、
絶対世話せざる趣意にあらず。自分と蜂須賀との間には既に相当の黙契あり
正之の生計費を幾分にても寡婦より出さしめんとすれば
寡婦が承諾せざる事は初めより分かりおるにつき、左様の事は少しも考えおらず。
正之には自分の考えは既に話しおきたることあるにつき、
左様の誤解をなすべきはずはなきことなり。


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倉富日記 大正08年08月01日

倉富&蜂須賀正韶侯爵の会話

蜂須賀◆末広重雄〔京都帝大法学部教授〕は宇和島の人にて伊達家に関係あり。
末広の話に松田の未亡人は極端なる性行なるように言うとのことにて懸念なきにあらず。
種々の話を総合すれば結局未亡人は利欲の念の強き人のようなるがいかが。
倉富◆予はこれまで一回本人に面会したるのみにてこれを批評するは不都合なれども、
要するに利欲心の強き人のようなり。本人は実子ある訳にあらず。
ただし相当の資産もある模様につき、この上にそれほど金銭を欲する原因は了解しがたし。
蜂須賀◆本人より伊達宗曜男爵に対し嫁の候補者なきやと言いたる由。
これは松田正久の親族某の嫁を探すためなるようなり。
未亡人が金を蓄えるは、この某に贈与するためならんと思わる。
倉富◆松田正久の存命中いったん実子として入籍しおりたる者を
戸籍の誤りなりとて裁判上の手続をなし除籍したるが、
その原因は未亡人がその人を嫌いたるためなるように聞きおれり。
かの人の心理状態は何とも判断できがたし。
有馬家と未亡人との間は非常に激しき衝突を起こしたることあり。
原因は未亡人より某家に対する負債あり、
これを返済するため有馬家より出金してくれよとの相談あり。
しかるに負債なき事実明瞭となり有馬家はその請求に応ぜざりし事よりの紛糾にて、
結局女の浅薄なる考えと言う他なし。
蜂須賀◆有馬家より持参の5万円と御下賜の3万円とを正之の有となしたらば
ともかく生計を立つることを得るならんとの話をなしおりたることあるも、
3万円はもちろん5万円を取り戻すことも容易ならざるべし。
頼寧より松田のために邸宅も設けざるべからずとの話ありたるも、
自分は左様のことは如何様になりても頓着せず。
娘にも出来得るだけその辺の覚悟はなさしめおるつもりなり。
倉富◆有馬家としてもすぐに松田のために建築する様の事は事情できざるべく、
もし只今の住居にて間に合わざるならば当分借家でもせざるをえざるべし。
蜂須賀◆それにて結構なり。
倉富◆正之が選定相続をなし、麻布の邸宅は正久存命中より妻の所有となりおり。
正之には何も相続すべき財産なし。
蜂須賀◆頼寧が「蜂須賀より持参する金ありてもその金額等は未亡人に明かさず、
元資は蜂須賀家に留め置き利子だけを正之に渡してくれる方が好都合なり」との話しあり。
その事にいたすつもりなり。


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倉富日記 大正08年09月13日

倉富&有馬伯爵家職員橋爪慎吾の会話

橋爪◆寡婦は正之に対し「お前の住居は頼寧が引き受けらるるゆえ、
まず家を買いたるうえ結婚することにならざるべからず。
家を買い入れるまでは婚期を定むべからず」という趣なり。
倉富◆松田にては住居のことも生計のこともすべて有馬家に一任し寡婦は何も世話をなさずに、
家を買うまでは婚期を定めずとはあまりにワガママなる申し分なり。
予は頼寧より充分寡婦に交渉せられ
一切干渉がましきことをなさざる様取り決めらるる必要あると思う。
橋爪◆寡婦より正之に対し「蜂須賀より持ち来る嫁装はすべて松田家へ運び入れ、
入用の分だけ新夫婦の住居に持ち行く様にせよ」と言いたる。
倉富◆言語道断なり。左様の事をなしたらば品物はすべて寡婦が差し押さえることとなるべし。
左のごとき事を言うならば、なお一切の干渉を途絶しおく必要あり。
橋爪◆正之の持参したる公債証書5万円は既にこれを売却して株券を買入れ
配当金1万5000円は収入とすることとなりおれり。「正之が寡婦に対する行動よろしければ
その資産は正之に譲るも、さもなければ他に遣わす」と言いたる。


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倉富日記 大正08年09月18日

倉富&蜂須賀正韶侯爵の会話

倉富◆先日橋爪より松田の寡婦より家買入れのこと、
嫁装を松田家に運び入れること等の注文をなす趣を聞けり。
蜂須賀◆娘に対しても寡婦の性行が普通ならざるゆえ
何事も軽率に言わず夫婦の間の意思の齟齬せざる様に注意すべきことを訓示しおけり。


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倉富日記 大正08年10月06日

倉富&宮内大臣波多野敬直子爵の会話

倉富◆蜂須賀正韶はいかなる事より娘を松田に嫁せしめる事を考えたるや。
なかなか熱心にて予にも会いたいと言い、面会のうえ種々話をなしたり。
波多野◆初めは末広重雄より蜂須賀に話して、蜂須賀もこれを思い立ちたる訳なり。
山本達雄が「松田の寡婦は実に困りたる人なり」と言えり。
倉富◆先頃も松田の婚儀につきちょっと面倒なることありたり。
波多野◆松田の家のことは蜂須賀の方にては「家は自分の所にもあるゆえ、
そこに住ましめてよろし」と言いおりたるところ、石井為吉は「家までも蜂須賀の物に住みては
蜂須賀の養子になりたる様になるとて寡婦が承知せざりし」と言えり。


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倉富日記 大正09年08月20日

松田正之の台詞

先日自分官を辞する時、
君〔倉富〕より「官を辞したらば家計に不足を生ずることなきや」と言われ、
その時は「家計には差し支えなし」と妻が言うにつきその旨を答えおきたる所、
その後毎月不足を生じ、妻は「自己の不行届きゆえ実家より補助を受けることとすべし」と言うも、
それにては有馬家の面目にも関する事と思い先日有馬家に対し補助の増額を求めおきけり。
これまでは年額600円、
今年は妻が出産するゆえそのための費用を請求して400円を補助する旨通知来りおれり。
よりてその他に500円を増して総額1500円と致したし。

全体有馬家より自分に対する態度についても了解しがたきこと少なからず。
安藤信昭〔兄〕に対しては資産として10万円を分与し家屋代として5万円を与えたるに、
自分には資産は5万円にて家屋代は1万円なり。
兄弟の別あるにしてもせめて家屋代は安藤の金額ぐらい与えてもよろしかるべきはずなり。
久米子〔妹〕が結婚するについても持参金3万円を遣わしなおその後の補助もなしおり。
頼寧は貧児救済とか貧民教育とかに金を費し新聞などもこれを称賛しおれども、
弟に高等貧民ありて生活もできずと言うては兄の面目にも関することと思う。
蜂須賀より妻の出産に要する衣類・器具等はすべて遣わしくれたり。
蜂須賀より厚くしてくれるだけ、自分としては有馬家の薄遇に対する不平あり


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倉富日記 同日

倉富&橋爪慎吾の会話

倉富◆先年頼寧が正之と寡婦との不和を仲裁したる結果、正之が持ち行きたる
公債証書5万円のうち2万5000円の利子は寡婦が受け取る事となりたるにつき
有馬家よりその金額だけは補助するが当然なるべし。
しかるに1250円を補助せず600円を補助する事となしたるは如何なる事情なりしや。
橋爪◆家を買うまでは正之1ヶ月50円の家賃を要したるゆえ、
600円以上は家賃と差し引くべくものとして600円と定めたり。
倉富◆それは無理なるべし。以前は家賃を払いたるにしてもその時は単身なりしが、
この節は配偶者もできたるゆえ家賃と差引勘定する訳にはいかず。
今年は正之の希望通り1500円を補助し、来年よりは1250円を補助せらるる様取り計いを望む。
橋爪◆自分も持参金5万円の利子に相当するだけは補助せらるるが穏当なりと思う。


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倉富日記 大正10年02月24日

橋爪慎吾の台詞

正之が家を買入れられたる時、1000円の余金あり。これにて応接間を作られるはずなりしが、
その時は正之は「応接間は強いて作るに及ばず。その金にて電話を買い、
その他にも必要なる事あるにつきその方に使いたし」との話あり、これを費消せり。
しかるにこの節に至り舅蜂須賀正韶が松田家に行き
「空地もあるゆえ応接間の一つぐらいはありたし」と言いたるより、
これを作る希望を起したる模様なり。
正之より「有馬家にて500円ばかり貸しもらいたし」との話なり。


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倉富日記 大正11年09月09日

松田正之の台詞

現住居は狭くして不便なり。
既に2人の子を喪い書生を置けば病気に罹り、ともかく面白からざる事多し。
妻は家の門が鬼門に当るとの事を聞き神経を悩ましおるにつき住居を変更したし。
しかるに現住居を売却したるだけの金にては他に家を買入れる事できざるゆえ、
有馬家にて家を買いその所有はもとより有馬家の物と為しおきてよろし。
無料にて自分の住居に充つる事にいたしたし。

俸給1600円・利子3750円・実家の補助1250円、計6600円なり。
無事の時なればこれだけににて間に合わざる事なし。
ただし妻は何も買う事を得ず。気の毒なり。妻は先頃より神経衰弱にて微熱あり。
小田原の蜂須賀の別邸に妻の妹小枝子が転地しおるにつき、妻もその方に行きおれり。
しかるに鎌倉あたりに移る事にいたしたしと思いおる所なり。


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by oMUGIo | 2005-07-10 00:00 | 勲功華族

白根専一男爵家 官僚

◆白根専一
1850-1898 嘉永02-明治31



■妻 寺田一尾の娘 ツタコ
安政02-


●スミコ 神野勝之助夫人
●ユキコ 堀田笑三夫人
●アイコ 斯波孝四郎夫人
●松介  次代当主
●百合介 高橋恒三郎の娘カツエと結婚


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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

白根専一男爵は細君と娘とを引き連れて京都へ出かけられたことがある。
昔から美人の本場所と言われる鴨川肌の優物が多いので
折があったらそこいらの酒楼へでも入り込み
鼻の菩薩に枕の塵を払わせようという謀反を起こしたが、
困ったことには細君が大の嫉妬家だからさすがの白根男爵もいかんともせんかたなく、
あたら宝の山に足を入れながら空しく指をくわえて躊躇し良策もがなとすこぶる心肝を砕いた。
その末ようやく案じ出した一つの手段、
宿の女将に頼み込めば先方も商売柄とてそこいらには抜け目なく
かねがね白根男爵がお気に入りの芸者をばそっと呼び寄せ
風呂番のおさんに扮装させ白根男爵の入浴の世話をばさせることにした。
浴室にやってきた夫人は風呂番にしてはいやに垢抜けた女がいると見受けたが、
これも美人の本場の京都であればと東京なぞとは違ったものだとあえて気にも留めずにおられた。
そこで白根男爵こいつは上首尾いくら嫉妬家でもここにはお気がつかぬも道理と
ホクホク悦に入ったので、風呂に入るたびごとにその芸妓をとらえては思う事のし放題、
室中をふざけ散らして楽しみおった。

5,6日経ってちょうどその折12,3であった白根男爵の娘
欄干にもたれながら何の気なしに向かいの通りを眺めていたが、
母親の方へ振り返り、「お母様、あれご覧なさい。風呂場のおばさんが向こうを通るよ」
「そうかね」と言いながら娘が指す方を見ると、
今の今まで風呂番の女とばかり思うていたのが髪の結い様より衣服まで全然変わった華美姿、
左褄取りつつ歩み行くところは女でさえ見とれる別嬪、
さては一杯食わされたと嫉妬の炎ムラムラと燃え上がり、
柳の眉を逆立てながら夫の横顔をジロリと睨んだその恐ろしさ。
さすがの白根男爵も進退窮まり、隠せど知れる冷や汗ビッショリ、
「な、なーるほど、風呂番の女によく似た芸者だなあ」

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◆白根松介
明治19-


■妻 金塚仙四郎の娘 喜美子
明治29-


●富美子
●精一
●美穂子
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by oMUGIo | 2005-07-09 00:00 | 勲功華族

大鳥圭介男爵家 官僚

◆大鳥圭介
1833-1911 天保04-明治44

*ジョン万次郎から英語を学ぶ
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■前妻 矢島大三の娘 道子
1839-1878


■後妻 ツルコ


●前妻の子 ヒナ   奥田象三夫人
●前妻の子 富士太郎 次代当主
●前妻の子 キク   実吉益美夫人
●前妻の子 次郎 
●前妻の子 六三
●後妻の子 イナ   赤松喬二夫人
●後妻の子 鴻子   田中善三郎夫人
●後妻の子 玉枝   柳谷午郎夫人





◆大鳥富士太郎
1865-1931
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■妻 平民斉藤良知の娘 ヨシコ
1875-1945
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●圭三  次代当主
●アヤ  河上徹太郎夫人
●蘭三郎 山崎ナオコと結婚
●豊彦  石川信子と結婚
●ユリ
●スミ  小林英四郎夫人





◆大鳥圭三
1903-1987

*爵位返上


■妻 豊田善吉の娘 ソノコ
1904-1974


●圭一
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by oMUGIo | 2005-07-08 00:00 | 勲功華族

鳥尾小弥太子爵家 軍人

◆鳥尾小弥太
1848-1905 弘化04-明治38
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■妻 平民山村吉兵衛の娘 タイコ
1856-1944
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●広子  日野西資博子爵夫人
●千代子 平民伊藤柳太郎夫人
●光   次代当主


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萬朝報 明治31年09月04日

子爵鳥尾小弥太は、
かつて芸妓たりし大阪北の新地貸席千原治兵衛の娘リキ(42)を十数年前より妾とす。

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◆鳥尾光
1876-1911


■妻 平民酒巻敬之助の娘 知勢
1883-1940
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●孝子 井原高親夫人
●照子
●敬光 次代当主


後列5人左から
日野西資孝 鳥尾照子 鳥尾孝子 日野西栄子 日野西治子 
前列6人左から 
日野西智子 日野西兌子 鳥尾敬光 鳥尾タイコ夫人 日野西賀寿子 日野西資忠
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●孝子 井原高親夫人
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●照子
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◆鳥尾敬光
1910-1949


■妻 三井物産社員下条小四郎の娘 多江/鶴代
1912-1991

*戦後GHQのチャールズ・ケーディスと不倫関係となる。

*夫の死後は近所に住む政治家森清と不倫関係となる。


●敬孝
●絵美
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by oMUGIo | 2005-07-07 00:00 | 勲功華族

吉田清成子爵家 官僚

◆吉田清成
1845-1891 弘化02-明治24

*イギリス・アメリカに留学


■妻 士族志村智常の娘 貞子
安政03-
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●文子 三井武之助夫人
●清風 次代当主
●清純 井上清純男爵となる
●清介


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萬朝報 明治31年07月22日

男爵三宮義胤の女房がドイツ人なることは誰も知るところなるが、
西洋人にして本邦の事情に暗きを幸いとし、
これまで我が妹なりなどと称して婦人を屋敷へ引き入るることもしばしばなりしが、
ことに驚くべきは彼が故子爵吉田清成の未亡人貞子と密通の一条なりとす。
この密通の成り立ちはこれをつまびらかにせずといえども、
吉田家がいまだ白金志田町におりたる頃よりのことなるは確かにて、
その後三宮は貞子に勧めて志田町の屋敷をば1ヶ月100円にてロシア公使に貸与せしめ、
芝区三田華族稲葉の控邸を1ヶ月50円にて借りこれに移らしめたるが、
この新借家はかなり手広く数室あるうちに2階に1個の秘密室あり。

三宮は月に6,7回は必ずこの秘密室にて未亡人貞子と会合し、
会合中は子供はもちろん何人も2階に上がるを許さず、たいてい4,5時間にて辞し去るを例とす。
また月に2回以上は互いに手を携えて明神の開花楼あるいは池上の明保野に到る。
ことに目立つは三宮が大磯の別荘に到れる時にして、
その間は信書の往復激しく吉田家への郵便電信の配達夫が出入することも引きも切らずという。
これらは密約的畜妾と言うべきなり。


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萬朝報 明治31年08月30日

男爵三宮義胤が故子爵吉田清成の未亡人貞子と密通しつつあることを掲げたるに、
吉田家よりは取り消しを申し来たりしのみならず、
事実無根にあらずやと疑いを差し挟みたる人さえありしかば、
我輩もいささか不安心に思い種々の方面について再探を試みたるに、
全くの事実なることを確かめ得たり。
よってそのうち最も精確なる部分のみを記載し、前日所報の誤りなきことを証せんとす。

貞子は旧幕臣志村知常の長女にして絶世の美人なるが上に
ダンスにおいては日本第一等をもって称せらる。
ゆえに本年すでに42歳なれども何人も目にもようやく28,9にしか見えず、
これぞ三宮がその夫人重野(ドイツ人)の厳重なる監察の目を潜りて密通したるゆえんにして、
貞子も生来多情の婦人なるをもって深く三宮に迷いつつあり。

両者が今日のごとく不義の奴隷となりたる起こりを尋ぬるに、
三宮はかつて貞子を北白川宮の御用掛に推薦したることあり。
この役目は1週1回の勤務にして妃殿下のお付きなるが、
たいてい公使を務めたる人の妻女にして交際のことに通ずる者に限られたり。
貞子のごときはけだし最好の適任者なるべし。
そはともかく両者の交際はこの時より始まりしにて、その実際はいつしか一種の醜交と変じたり。

我輩が再探を試みある確かな手筋より聞き得たるところによれば、
01.三宮は宮内省に出勤する前にも立ち寄り、帰りがけにも立ち寄り、
たいてい日暮れ頃までいることほとんど毎日のごとくなり。
02.来る時は案内なしに上がり込み、
玄関より右へ回り中庭を隔てたる茶座敷様の8畳の離れ室に打ち通り、
貞子と密会し家人には茶を運ぶ時のほか一切その室に入るを許さず。
03.帰る時は貞子は玄関まで送り来たり、互いに無言無挨拶にて別る。
04.夕方歩行し来る時は、たいてい12時頃までおる。
05.去年07月ごろ三宮は宮内省に出勤する時
ちょっと吉田家に立ち寄りて貞子と何事をか打ち合せをなしおき、
退庁の途中上野の八百善に到りて黒田と偽名し貞子を待ちたるが、
貞子は午後の4時頃に三田の家を出て大いに苛立ちて車夫を急がせ八百善に赴き、
三宮と会して夜の12時すぎまで同所にありしが、三田の家に帰り着きしは夜の02時頃なりき。
06.同08月01日貞子は由比ヶ浜の別荘に到る。
この時葉山の別荘にありたる三宮よりしばしば手紙来る。
07.同08月23日両殿下西京より御還幸の当日、
葉山にありたる三宮は鎌倉に来たりて貞子を訪い、
相携えて大船に到り同所にて奉迎帰京したるが、貞子はその翌日鎌倉に帰る。
しかるに東京の自宅に一泊したる形跡なくはすこぶる怪しむべきなり。
08.三宮もまた葉山に引き返し相変わらずしばしば手紙を寄せ、一両度自ら貞子を訪い来たれり。
09.同09月07日貞子は東京に帰り同15日までに2度上野の八百善に到りて三宮と会合し、
例によって夜の02時頃家に帰る。
10.同09月20日頃志田町なる吉田家の親戚方に婚礼ありて
貞子はこれに招かれ12時頃帰宅せしに、途中寺町の寂しき横町に差しかかりたる時
三宮は歩行しながら来合わせしかば、貞子ただちに俥より降りて三宮に手を引かれ
睦まじく何事かを語らいつつ三田の家に帰り、同夜三宮は珍しく一泊し翌朝08時頃帰り去る。

貞子の妹キヨ(35)のごときは、13の時三田の南海学校に入り教員某と通じ、
14の時孕みて子を産み、清成の甥清孝と通じ、書生と通じ、
三州紡績会社の岡田令高に嫁し姦通のために追い出されしほどなれば、
その姉貞子が今日のごとき不始末あるはあえて不思議とするに足らざるなり。

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◆吉田清風
明治12-
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■妻 山崎直胤の娘 八重
明治24-
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●清重
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by oMUGIo | 2005-07-06 00:00 | 勲功華族

福羽美静子爵家 教育者

◆福羽美静
1831-1907 天保02-明治40
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■前妻 中村喜内の娘 久子
 -明治08


■後妻 大岡律子
 -明治16


●禎子 婿養子を迎え次代当主とする
●文子


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萬朝報 明治31年07月31日

子爵福羽美静は豊多摩郡淀橋町の自邸に浜田タツ(35)なる妾を畜う。
タツは近辺の足袋屋浜田某の娘なり。

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◆福羽逸人
1856-1921 安政03-大正10
もと佐々布利厚の子 婿養子になる


■妻 先代美静の娘 貞子
文久01-大正13


●千代 医学者北川乙治郎の前妻
●真城 次代当主
●甫
●直人
●発三 農学者 戸田忠雄子爵の娘光子と結婚
●進





◆福羽真城
明治13-


■前妻 寺内正毅伯爵の娘 須恵子
明治23-


■後妻 亀井茲明伯爵の娘 孝子


●菊子 婿養子を迎え次代当主とする





◆福羽邦長
明治31-
高辻宜麿子爵の子 婿養子となる


■妻 先代真城の娘 菊子
明治45-
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by oMUGIo | 2005-07-05 00:00 | 勲功華族

松本良順男爵家 医学者

◆松本良順
1832-1907 天保03-明治40


■妻


●本松 次代当主


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萬朝報 明治31年08月15日

目下大磯に居住する松本順はさる28年より野村エイ(38)なる女を妾とす。
エイは柳橋にて栄吉と名乗りし芸妓なるが、
いったん落語家の古今亭今輔の妻となりたれども都合にて離縁となり、
大磯の芸妓屋今鎚の【小はな】と名乗りて勤めいけるに、かねて特別の関係ありしより、
たちまち松本のために落籍されその妾となり、松本の松を取りて今は【お松】といいおれり。

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◆松本本松 医師
明治18-


■妻 津田知寛 ワカコ
明治15-


●銈太
●順之助
●正夫
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by oMUGIo | 2005-07-04 00:00 | 勲功華族

黒田清綱子爵家 官僚

◆黒田清綱●子供ナシ
1830-1917 天保01-大正06
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■妻 平岡等の娘 貞子
天保08-明治37





◆黒田清輝 洋画家
1866-1924 慶応02-大正13
先代清綱の甥/黒田清兼の子
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■妻 藤井直次郎の娘 久子 離婚
明治08-


★妾 芸者 金子種子/照子


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萬朝報 明治31年08月25日

子爵黒田清綱嗣子清輝は誰も知る裸体画の大熱心家なるが、
彼は裸体画の好模型を求むるを口実として数次柳橋に遊び、
ついに元柳町の芸妓山田屋【おたか】の妹照子こと乾サク(18)といえる美人を選みて落籍させ、
昼夜の分かちなく裸体のままそばに引きつけいたるが、
ようやくにして一個の裸体画を作り上げこれを白馬会に出品せり。
しかしてサクは今なお妾として逗子の別荘に置かる。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正13年07月02日

宮内官僚酒巻芳男

黒田清輝病気重体なり。清輝には正妻なく妾照子を正妻と為す事の希望あり
宮内大臣牧野伸顕より相談ありたるゆえ、
「宗秩寮としては聞き届けらるる事は望まず。先例は二様になりおり。
これを許す方の先例は桂太郎の妻可那子は井上馨の養女と為りて結婚を許可されおり、
これを聞き届けざる例も最近にあり」との事を告げたるに、
宮内大臣は「これを拒む旨を告げ置くべし」と言いたり。


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◆黒田文紀
大正12-
先代清輝の姉の孫/橋口孝長の子
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by oMUGIo | 2005-07-03 00:00 | 勲功華族

九鬼隆一男爵家 政治家

◆九鬼隆一
1852-1931 嘉永05-昭和06
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■妻 杉山弥右衛門の娘 波津子 離婚
1860-1931 万延01-昭和06


●一造 次代当主
●三郎 官僚 熊坂弁蔵の娘フジコと結婚
●周造 哲学者 兄の未亡人縫子と離婚・祇園の芸妓と再婚


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萬朝報 明治31年08月29日

*国立博物館初代館長でもあった。

男爵九鬼隆一はいわゆる美術に熱心なるよりもむしろ女色に熱心して、
婦人に対してはその醜美を論じたることなく手当り次第に手をつけ、
これまで雇女を孕ましたることしばしばなりしが、
その数多きうちに今なお記念として存しいるは荏原郡大井村酒井申太郎の娘ミネ(26)にて、
同人は28年小間使いとして雇い入れられたる者なり。

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◆九鬼一造
明治17-


■妻 政治家中橋徳五郎の娘 縫子 死別・一造の弟九鬼周造と再婚離婚
明治28-


●隆一郎
●隆造





◆九鬼隆一郎
大正05-


■妻 田村丕顕子爵の娘 正子
大正11-
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by oMUGIo | 2005-07-02 00:00 | 勲功華族


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