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◆高田早苗
1860-1938 安政07-昭和13 78歳没 ![]() ■妻 前島密男爵の娘 不二子 1869- 明治02- ![]() ●勇雄 ●タツコ :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 萬朝報 明治31年08月14日 高田早苗は紅葉館の下女中沢アイ(25)と通じ、 去る29年いとまを取らせて妾とし芝西の久保巴町に囲い昨年女児を産ませたるが、 爾来高田はひとしおアイを寵愛し 本妻の子無きを幸いこれを離別しその後へアイを引き入れたき下心あれども、 細君は自分の先輩なる前島密の娘なるがために 無造作に離別もできず大いに閉口の態なるが、 細君は夫が常に妾宅にのみ寝泊まりするを苦にし目下病気中なり。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ![]() ■
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| 2006-01-20 00:23
| 御家族
◆吉田茂 総理大臣
1878-1967 明治11-昭和42 89歳没 ■前妻 牧野伸顕伯爵の娘 雪子 1889-1941 明治22-昭和16 52歳没 ![]() イギリスにて ![]() ![]() ■後妻 芸者 坂本喜代 ●桜子 外交官吉田寛夫人 ●健一 文学者 ●正男 学者 ●和子 政治家麻生太賀吉夫人→子は総理大臣麻生太郎・三笠宮寛仁親王妃信子 左から 和子 雪子夫人 吉田茂 ![]() 雪子夫人と和子 ![]() 椅子4人左から 雪子夫人 不明 和子 吉田茂 ![]() 立つ 左端は健一 座る左から 吉田茂 雪子夫人の父牧野伸顕伯爵 牧野の孫貞子/林友春夫人 雪子夫人の母峰子 雪子夫人 ![]() ■
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| 2006-01-18 00:29
| 御家族
◆松岡洋右
1880-1946 明治13-昭和21 *アメリカに留学 ■妻 工学者進経太の娘 龍子 ●謙一郎 実業家 ●周子 実業家田島道治の子田島譲治夫人 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 細川侯爵家当主 細川護貞 松岡という人は一種の精神病にかかっていたのではないかと思っている。 非常なおしゃべりで、朝から晩までただ喋っている。 近衛公爵の使いで書類を持って松岡外務大臣の所へ伺っても、 その書類を出す機会がないほど喋っている。 秘書官が入って来て「細川さんが来ている」と告げてくれたが、 「あ、そうか」と言うだけで相変わらず喋り続ける。 仕方なくその書類を持ち帰ったという事があった。 こういう方が一国を代表して相手国の元首と話をする場合、 どういう結果が生まれるかという事を私は大いに恐れたものだ。 同行した随員から直接聞いた話だが松岡外務大臣がドイツに向かうシベリア鉄道の中、 朝起きた時から寝るまで喋っていたと言う。それも誰かれ構わない。 最初のうちは一つの話が済むまでは誰かが一人ついていたが、 その話が済むのを待っていたら交代できない。 そのうち時間が来れば交代する事にしたが、 交代して相手が変っても前の話をどんどんし続けるのだと言う。 この時私は何か正常でないものを松岡外務大臣に感じざるを得なかった。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ■
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| 2006-01-14 00:00
| 御家族
◆原敬●子供ナシ
1856-1921 安政03-大正10 *暗殺 ■前妻 中井弘の娘 貞子 離婚 1869-1919 明治02-大正08 50歳没 *14歳で結婚・36歳で離婚 *不倫で妊娠し離婚。不倫相手は書生あるいは車夫と言われている。 その後印刷工と再婚。 ■後妻 芸者 浅子 -大正12 51歳没 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 『横から見た華族物語』 昭和07年出版 原敬氏の夫人は中井桜洲の娘である。 中井氏はわずかに一地方長官で身を終わったが、 薩閥の先輩で伊藤公・山縣公・井上侯等とは友人の間柄であった。 原氏がまだ一秘書官として世に知られなかった頃、 一日大臣に扈従して華族女学校の参観に出かけたことがある。 その時容姿端麗な淑女を見て心を動かしたか、 秘かに探ってみると中井桜洲の娘であることがわかったから、 中井氏の将来とそれに付攀して進む自身の栄達を予想し、 媒介者を頼んで交渉を重ねた結果ようやく思いかなって夫婦の契りを結んだものである。 しかるにその後家風に合わずと称して婦人を離縁したから 世間では原氏の軽薄無情を非難したが、 ことの真相は夫人が極端なヒステリー患者で 政界の野武士どもを制御する原氏の手腕をもってしても 夫人のワガママをどうすることもできなかったことが破鏡の歎きを見る直接原因であった。 末松謙澄子爵が伊藤公の女婿となった頃何かのことで夫人の気色を損なうと 自ら背負うて庭園を一周しご機嫌取りに努めたということは 今でも談柄として残されているが、 原氏もまた毎朝出勤するに先立ち夫人を負うて室内を一周し 時とすると夫人のために打たれることさえあった。 夫人はまたヒゲを嫌うこと毛虫のごとく、 ヒゲのある客の前へは一切出て面会せぬというほどの変わり者であった。 そのため友人や親戚はあまりにも増長する夫人の横暴ぶりを見かねて しばしば離縁を勧めたが、 原氏はひたすら外戚の意を損なわんことを恐れて受諾せず、 後年夫人の品行上許すことのできぬ訳が生ずるに至ってはじめて離婚を決行した。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 原敬日記 明治38年12月17日 貞子は明治29年より離別し、本人悔悟改心せりと聞かれ明治32年に呼び戻し、 去年09月余が東北巡業を終りて10月帰京するや否や 本人は他人の胤を懐妊し既に5ヶ月なる由を聞き、 余が知らざる体を為しおりたるをもって本人全く発覚せざるものと信じ、 その不行跡を蔽わんが為に三浦三崎に転地保養に赴きたるにより、 使いをして本人を説かしめ貞子より離婚を求る旨申し越しあり。 余その意に任せ離婚届に調印せしめて原籍地に届け出り。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 原敬日記 明治39年05月06日 貞子離別後三浦三崎にあり同所にて女児分娩せし由なりしが、 情夫の胤にして余の子にあらず。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ◆原貢 1902-1983 先代敬の甥 *イギリスに留学 ■妻 ■
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| 2006-01-13 00:00
| 御家族
◆犬養毅 総理大臣
1855-1932 安政02-昭和07 ■前妻 千代 ■後妻 国子 ●彰 ●操 外交官芳澤謙吉に嫁す ●健 次代当主 ●信 多田正俊夫人 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 萬朝報 明治31年07月08日 犬養毅の細君千代(24)は元芸妓なるが、 その妾斉藤セン(30)も烏森の芸妓にて11になる男の子さえあり。 目下は牛込馬場下町の宅に同居して犬養の病気の介抱に余念なし。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 『名士文士貴婦人すっぱぬき』 大正06年出版 若い頃の犬養君は盛んに諸方で遊んだものだが、 有名な夫人のお国さんがずいぶんと濃厚な方でいつぞや巣窟を襲われてから 今は夫人の監視の届く東京ではあまり遊ばぬようになった。 されば地方の遊説などへ出かけるものはら至る所で美人と交わり、 平素縮めていた羽を自由に伸ばして堂々王者の豪遊をやる。 大勢集めてワッと騒いでサッと引き上げるのが得意である。 酒はあまり深飲みしないが、芸者を翻弄する軽妙な皮肉は絶倫である。 地方の芸者が得を慕うて わざわざ秋田から福島から京都から東京の本邸まで御機嫌を伺いに来る者がある。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ◆犬養健 政治家 1896-1960 明治29-昭和35 ■妻 長与称吉男爵の娘 仲子 明治33- ●実子 道子 評論家 ●実子 康彦 次代当主 ●庶子 和子 タレント安藤和津 ◆犬養康彦 1928-2015 ■前妻 波多野元武の娘 智子/評論家犬養智子 離婚 1931- ■後妻 実業家大原総一郎の娘 麗子 1935- 昭和10- ●前妻の子 男子 ●前妻の子 女子 ●後妻の子 男子 ■
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| 2006-01-12 00:00
| 御家族
◆福澤諭吉
1835-1901 天保05-明治34 66歳没 ■妻 士族土岐太郎八の娘 錦子 1845-1924 弘化02-大正13 79歳没 ![]() ●一太郎 コーネル大学留学、大沢昌督の娘糸子と結婚 ●捨次郎 ボストン工科大学留学、林董伯爵の娘菊子と結婚 ●里子 中村貞吉夫人 ●房子 婿養子を迎え次代当主とする ●俊子 清岡邦之助夫人 ●滝子 志立鉄次郎夫人 ●光子 潮田伝五郎夫人 ●三八 グラスゴー大学&ライブチッヒ大学留学、鶴原清子と結婚 ●大四郎 ハーバード大学留学、馬屋原二郎の娘益子と結婚 立つ 捨次郎 光子 座る 三八 大四郎 里子の息子中村愛作 ![]() ●一太郎 コーネル大学留学、大沢昌督の娘糸子と結婚 ![]() ![]() ●捨次郎 ボストン工科大学留学、林董伯爵の娘菊子と結婚 ![]() ![]() ●里子 中村貞吉夫人 左から 里子 息子愛作 息子壮吉 ![]() ●俊子 清岡邦之助夫人 ![]() 左から 息子暎一 夫邦之助 娘万代 俊子 ![]() ●滝子 志立鉄次郎夫人 左から 娘美保 滝子 娘ヤナ 娘多代 ![]() ●光子 潮田伝五郎夫人 ![]() ●三八 グラスゴー大学&ライブチッヒ大学留学、鶴原清子と結婚 左から 妻清子 娘冬子 娘島子 三八 ![]() ●大四郎 ハーバード大学留学、馬屋原二郎の娘益子と結婚 ![]() ◆福澤桃介 1868-1938 慶応04-昭和13 70歳没 もと岩崎紀一の子 婿養子になる *アメリカに留学 ![]() ■妻 先代諭吉の娘 房子 1870-1955 明治03-昭和30 85歳没 ![]() ★妾 女優 川上貞奴 1871-1946 明治04-昭和21 ●駒吉 福沢一太郎の娘八重子とイトコ結婚 ●辰三 嵯峨浦次郎の娘志乃と結婚 =================================== 福澤諭吉の孫/一太郎の子 福澤八十吉 緒方牧二郎の娘淑子と結婚 1893-1947 明治26-昭和22年 54歳没 ![]() ■
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by oMUGIo
| 2006-01-11 00:00
| 御家族
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